2015年7月13日月曜日

こーじアンテナ!



○ でも・・・こういう絵もきっと無力なのだろう。僕はこの絵についてはまぎれもなく良心から描いているけれど、
  良心で描いたって人の気持ちを尊重できなきゃ意味もないのかもしれないし。
  ただ、あの時信じたものが何だったのだろうと思ってみたりはするけれど、
  被写体だった彼女らが心の安らかさを取り戻せることを祈るべきなのなら、結局はそうあるべきなんだろうね。 (2015_7/13 9:34)



○ モノクロ。仮タイトル的には左が「少女菩薩」、右は現在の所無題。これも線は現行で一番細い鉛筆(シャープペン)系。どちらもトレスはしてません。
  ていうかK岡さんは、お寺なども撮影していたわけで、モデルの彼女(個人とは限らないが)の中に仏性とかそういうのを見ていたのではないだろうかと思ったりして。で、おそらく菩薩像などに近い描写の写真だなと思ったりしています。元々仏様というのは中性的イメージがあるわけで(西遊記の夏目雅子さんもそうですが)、そんな感じなのかなぁと。
  描いた結果としては、本当に菩薩画というか仏画っぽくなったわけで、こういう絵とか造形の修練を積んだ結果として、大昔の菩薩像とか仏画は生まれたのだろうなぁ、というような事も想像してしまったりしました。(菩薩イメージの生成の瞬間を追体験したような感覚で、これはK岡さんとモデルの方に感謝!!12/24生まれの僕が仏性について語ってるのがなんかちょっと不思議ですが・・・)
  で、多分この絵はちゃんと「生」の領域にとどまってる分、昔のいわゆる仏画と比べてもはるかにましに描けた!!と思って自画自賛です。線が細すぎて縮小したら見えづらくなってしまったのは難だけど。
  色を塗ろうと思ったんだけど、線だけというのはこれはこれで版画や浮世絵っぽくていいのではないかと思ってこうした・・・わけなんだけど、0.3mmの線はあまりにも細いので、デジカメ撮影したものを縮小すると線がボケてしまった。
  0.3mm+色鉛筆だと、最初の線がボケたり消えてしまうので、ここから先は鉛筆線をコピー定着→彩色かも。
  こういう絵は昔から描けるわけだけれど、でも「やつは絵が下手だ」とネットで連呼されるのは・・・そう言いふらした方が都合がいい人々がいるからで(似非芸術家呼ばわりの中傷メールとか届く・・・)。
  でもまぁ、模写は模写なわけですが、逆に言えば絵描きになるには修練は付きもの・・・どころかどこまで上達してても完成作を作る前に習作は作るし。
  習作だって人に何かしらのインプレッションを投げかければ美術作品には違いがなく、最近は鉛筆画だろうが雑な絵だろうが、ちゃんと個性が出ていれば美術や芸術やアートと認識される。
  それが僕にとっていいのかどうかはわかんないです。
  腰から上の像は、描線の繊細さで雰囲気を出せたので良かったと思っています。めがねを作ればいいのかもしれないけれど、ものすごく分厚くなって見た像の曲率が変わるので、絵を描くときは基本外さないと僕は頭が苦しくなるタイプです。 (2015_7/13 7:29)



○ ・・・さよならの代わりに描いている。
  某K岡さんの写真集からの模写だけれど。やっぱり色鉛筆なので、LUMIXでの撮影は向かない。大体実際の色味もこんな感じ。トレスはしていなくて肉眼で描いてる。売る予定も手放す予定も全くない。けれども勉強というか習作というか、今しか描けないかもしれないので。
  多分写真よりももっと淡い印象で、鉛筆線やペン線は現行の一番細い奴と思っていいです。
  額装したいくらい出来はいいんだけど、元の写真の判明避けのためとコードのために色々塗りつぶしている。これくらい今の世の中の美術弾圧は激しいって事だと思う。それでも綺麗に見えるように修正してる。でも修正なしの方が全然いい絵だとは思う。
  全体で見るとものすごくいい絵になってるんだが。でもこの構成って撮影したK岡さんとそのスタッフの方々の努力で出来上がってるわけで。その当時なりの少女の善良さを精一杯表現するために、色々な手法を使っていて、更にたぶん扱いの難しいカメラで撮ってるわけだし。
  たとえ写真の模写でも、描いてるとそれらが判るっていうのは経験値として意味があるよね。撮影側の苦労とか・・・あとは一体彼女の何に撮影者は引かれている(いた)のか、とか。
  要するに僕は、日本人の女の子の良さを手元に残したくて描いてるっていうか・・・単純に言うと日本人の女の子とさよならする位の気持ちで描いている(別に日本から出るわけじゃなくて、こういう自分の情緒を日本の女性達が全く肯定できないっていうのなら、僕は日本の女性とは交際とか出来ない)。
  結局、芸術のためにって言われて写真を撮らせた無数の女の子に対して、それを今の法律は勝手にポ○ノだとかそういうことを言っているわけだけど(人権まるで無視で。K岡さん系の場合は裁判とかでも別の理由があったんだけど)。でもこれって本当は芸術だし、芸術のためになってきたって事を証明したくて描きました。
  ていうか「ポ○ノ」って言葉がこの世の中になければ、多分この絵って 美術 だなぁとしか誰も思わないと思う(画材はともかく、イラストというには製版不能で、コミック絵では全然無い)。逆に「ポ○ノ」だと思い込みたいやつがこれを見ても、結局「美術だの画家だの気取りやがって、興奮なんてできないじゃねえか」としか思わないと思う。だから結局美術の方に僕の絵は振れてるって事にしかならない。
  単純にこういう感じの絵はコ●ケでも全体中100サークル程度しか描けないだろうし、僕は同じ色鉛筆でも複数手法で描くのでその手法を全部使える描き手となるともっと少ないと思うわけだけど。
  個人的には一番左の絵には「Diana」「青いりんごとうさぎ」「Like Heidi with ****」などの仮タイトルを付けている。グリーン系の色は僕が感じた色彩を色鉛筆で描いてるだけなので、絵にならないと青りんごとかそういう印象にはならない筈だけど。
  でもそういう仮タイトルをなんとなく考えると、なんとなく撮影者の意図は見えて来る。ものすごく色んなコンセプトを考えて撮ってる方だ、と。
  モデルについても書きません。「どれをモデルにしたんですよね?」って言われても僕は「はぁ?」って答えます。だって、絵や創作の秘密をどれもこれも自分から暴露する必要なんてないでしょ?それって芸術家や作家が言わなくってもいいものだから。元々。今回だって問題提起じゃないかぎり、K岡さんだとか書かないよね(写真の模写だし仕方ないってのはある) 。
  室内で撮影したんだけど、暗いのと線が細いのとでモノクロが撮れなかったので、モノクロはまた明日です。
  自分は視力両目とも0.1で長時間モニターでCGを描くと目が痛くなるようになってしまったので、写真とか雑誌面からじゃなきゃ描けない。
  写真にしてもトレスじゃなくて肉眼で描く意味って、結局自分のセンスというか感性を通過する事で色彩でも効果でも異なるものが描けることだと思う。
  これって単純なんだろうか。別に写真集を手放す事自体を拒絶しているわけじゃなくて・・・そういう事じゃないんだよね   (2015_7/13 2:43)

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