◎ というわけで、自分の個人創作サイトのNECTAFUL-ααα(http://www.geocities.jp/nectaful_aaa/)のサイトを公開開始しました(製作依頼受付要項込み)。とはいえ色々と時間的制約があったので、10月くらいまではサイト内編集とか更新とかに時間がかかると思います。夏は僕的に体調不良の時期なので、その方がいいと判断しました。
このページの日記なども、例えばドール・美術系日記とか人形制作日記が色々混在している状態なのですが、個人製作に関する日記は、このMO-CuteサイトとNectaful-αααのサイト双方にミラーを作ります。これは単純な理由で、ドール系と言っても着せ替え人形メインで球体関節などの創作系ドールに興味のない方もいるからです。またドール系に興味があるからと言って、美術系全般に興味があるわけではない、って人も当たり前に多いと思うので・・・。
ただ、ドール系の人でも展覧会に行くと楽しい、って事を紹介したくて件の日記は始めたものだったので、その辺どうするかはもう少し考えます。(2015_7/14 18:51)
● 故・K岡さんの写真関係の事について、あまり知らない人のために簡単に書くけれど、K岡さんの少女ヌード写真集は基本的に写真芸術ではあるんだが(それこそ初期から作家の故・野坂昭如や画家でもある石坂浩二氏も認めていたような・・・)、写真とか芸術とか知識的に知らない(うとい)人がどう考えるかは別として、そこは間違いないと思う。
で、なぜそれがポ●ノ扱いになるかというと、そもそもポ●ノというのは「性的扇情を目的とした大量生産物で商業物」で、その為に出版社側があまりにも大量に出版物を売りすぎ、また撮らせすぎてしまった、(それで被写体のモデルの子複数が嫌になった)というのがあったわけです。要は、作品としては芸術なんだが、販売形式が大量生産的で、そのバランスが崩れてしまったってのがあります。(でも裁判騒ぎでK岡さんが叩かれた大きな理由は、芸術写真へのポ●ノ層サイドの嫉妬と、K岡さんが華族の名家の出である事に対する嫉妬兼弾圧意識で(そりゃ逆の下層出身の人々は華族出の人を叩きたがる。旧華族の女性が受けてきた敵意はもういわゆる小説の性暴力モノとかにも多いわけだから(華族の女性への性暴力とか・・・逆の小説(華族→メイド女性、的な)もあるだろうけど))、ある意味その辺で民間世論は全く公正じゃ無いわけで。)。
そもそもなら、写真の被写体の一部が海外の子達であったり、貧しい子達だったとして、その子たちをまず生かすなり、人並みの生活が出来るようになる上で、そういうモデルをしてもらう事→写真なり美術芸術のためにもなる、という考え方は、当時どころか大昔の西洋からですら当然あったわけで、それを絶対に100%あってはならないものであるかのように言うのは、つまり過去を知らなかったり、もしくは過去にフタをしたいという感情。それは「私はそう思っている」と思うモデルの子たちが言うのはありえるかもしれないけれど、全員がそうかはわからない。
で、ならK岡さんがそういうモデルの子達を軽蔑していたかといえば、愛していただろうと思うわけで、「そういう状況を、本を読む若い子たちに何とかして欲しい」という感情も当然あっただろうと思うんだよね。つまり状況を何も出来ないとか出来なかった人々が言うことじゃあないんだ、と。取り巻きが言うことじゃないんだ、と。今貧しい人々に寄付金とかしてんのかって問題もあるし。
で、最も大きいポ●ノ扱いされた理由はK岡さんがレズビアンでもあったことで、それであの一連の作品はレズ的な感情がそうさせていたのだって事で、ポ●ノ認定されたんだが、でも、それで「芸術ではなくポ●ノ」認定する時代ってのは、もう終わりが来ていると思われる。だって撮影者が男性である場合でも、芸術は芸術だから。
なぜなら既に、アメリカでも「全州で同性愛結婚の違法化は違憲である」という判決が下りている位だから。(僕はそれでまた色々日常的に恋愛問題が起きるんじゃないかとこないだ書きはしたが)
・・・つまり、K岡さんがノーマルであってもレズであっても、その事自体をとがめられる時代ではなくなってしまった。しかも女性→少女への欲望の存在証明とか推定有罪とかを全ケースではできない。
つまり被写体のモデルを殊更撮影時に苦しめた、などが無いケースでは、そういう感情をK岡さんが撮影時に持ったとしても、芸術性の批判は出来ないって事なわけです。・・・要は写真におけるポ●ノの根拠が男性への扇情と粗製乱造の大量生産にあるというのなら、芸術か芸術じゃないかはその一点だし。つまり売り方という点にしか問題が無い。
ていうか僕もまぁ、清岡さんの写真の少女像は作りたいと以前は思ってたわけだけど(日本人少女の立体としては珍しく。今後は・・・難しいだろうなぁ、顔写真はネットに残ってるから、顔の立体は作れるんだろうけど。技術が上がった時にはもう・・・って何なんだろう;)・・・。なら、写真集の発売当時に、彼女たちを誠意を持って描いた絵や作った像が誰かから届いてそれがそれなりにいい作品だったら、少女たちは喜んだかといえば、多分当時なら結構喜んでいたんじゃないかなぁ、と思う。
全く同じ絵や立体が20年後に作られるとして、それは怨嗟と呪いの対象になるんだろうか?そこまで絵や立体の意味合いって変えられてしまうものなんだろうか?そこまで作品評価が時代に曲げられる事を、みんな肯定できるんだろうか?・・・僕だけじゃなく、そういう事を思う人は結構多いかもしれない。
なんか変な事書いてるようだけど、K岡さんの写真のモデルの少女たちのイメージって、それくらい絵画系(アニメコミック系含む)や立体系の人にはすごく影響与えてたと思うので・・・。都内の書店やコミック店などでの記憶などを思い出すと・・・やっぱり感慨はあるよね。 ( 2015_7/14 19:21 )
0 件のコメント:
コメントを投稿