2015年12月13日日曜日

こーじアンテナ!


○ 今日東京の東京国立近代美術館の、「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」を見に行ってきました。うーん・・・
  根本的に戦争画中心の展覧会で、多分みんなが興味持つ(&見たいと思う)裸婦画は殆どなかった感じです。「5人の裸婦」と他1枚のみ。その2枚の裸婦画は素晴らしかったですが。だから僕としては、戦争画中心だったって事で、うーん、って感じだった。展覧会自体のクオリティーとしては、bunkamura ミュージアムの数年前の展覧会の方がずっと高かったです。
  ただ、その展覧会では戦争画についてはほぼ全く抜けていたので......今回、藤田嗣治の戦争画を見たい人にとっては、すごく充実した展覧会だったと思います。この戦争画についてどうしてフジタがこう描いたかというのを、西洋美術の文脈で考える、その考え方を来場客に敷衍する事には成功していると言えます。
  例えば裸の人々の群像画は、僕が持ってる大昔の画集にも出ているんだけど、その群像画から進化したような描画法が、戦争画の中にも見て取れる。あと、ブラジルに渡った時の有色人種家族を描いた絵もあったんだけど、「乳白色の肌」とは違うブラジル人の肌を描いた時には、そのマチエールもやっぱりちょっと褐色や茶系に寄った乳白色だったりで、その描画法の微妙な(臨機応変な)変化が見ていて面白かったです。
  戦争画は・・・なんというか、これを何と評すべきか、って感じだったが。・・・多分最近のリアル兵器やリアル軍隊好きのヤバイ連中は、やっぱり血沸き肉踊る、って言うんだろうと思うんだよね。でも描いているフジタはそういう事を描きたいのかどうかは解らないが、確かなのは、あくまでその現場に付いていった側として、現場のリアルを描いている、って事なんだと思う。つまりフジタ自身も現地に溶け込んでいて、しかし画家の目というのは本当に冷徹だから・・・。
  多分この戦争画にフジタならではの意義があるとすれば、その冷徹さと緻密さにより、逆に現場の心情が表れて、戦いの場にいる彼らの命に対する画家の厳粛さが出ているって事なんじゃないだろうかと思う。でも結局それは、ダンテの地獄描写のような混沌なんだけど。ただ熱量がものすごい。
  戦争画のテーマ的価値についてはなんともいいがたい。戦争ってのは人間の愚行の究極だから。というか現代から見れば愚かには違いがないけれど、同行していたフジタが戦争を現にしている兵士たちを愚かと思えたかどうかと言えば・・・やっぱりそれは難しかったんだろうな、と。そこに戦争の恐ろしさがある。
  ところが結局、フランスが革命やナポレオン戦争についての絵を描いて後世に残そうとするのとは、日本の軍部の戦争画の利用方法は違っていて、その「アジテート」に使おうとする宣伝戦略的な歪みってのが結局日本の駄目な点だったんだろうなと・・・思うんだけど、ナポレオンの肖像画だって実際よりナポレオンを長身に見せてるくらいだからなぁ・・・何が問題って、つまり日本の戦争に、普遍的正義があるのかどうだか確定しないままに、フジタらが書いた戦争画を国威高揚に利用しちゃったことだよね。
  いずれにしてもフジタがそんな国を捨てたのは正解だったろうなと僕は思う。
  でなきゃ晩年にフランスで描かれた子供達の絵とか、ありえなかったかもしれないし。
  でもフジタが監督をしたミニ映画が管内上映されていて、それがものすごく素晴らしかったんですが・・・やっぱりフジタは日本の子供も風土も愛してはいたんだろうな・・・っていう。いや、そうじゃなくて、ものすごく画面構成や演出が素晴らしかったです。昭和10年当時に既に紙芝居があって、見終わった子供たちがチャンバラやってたんだ!!っていう、それがびっくりでした。
  で、bunkamuraの展示と、今回の展示をどっちも見て思ったのは、フジタというのはやっぱりリアリズムの画家だという事で。リアリズムというのは・・・例えばアニメや漫画の世界の人で勘違いしてる人もいるんだけど、対象をリアルに描く事では無いんだよね。「対象のリアルを描く事」なんだ、と。だから必要とあればダイナミズムも使うし、様々な手法を多用もする。
  フジタの乳白色の肌をフランスがもてはやしたのは昭和ひとケタより以前からだけど、そこからまた抜きん出る、その過程を見れた感じでした。あと、けして静謐なだけの絵の人ではなくて、ダイナミックな人でもあったんだな、っていう・・・色々感じた展覧会でした。
  でも僕としては、ちゃんと乳白色の裸婦画の展示とかもっとしっかりやって欲しかった・・・んだが、あくまでも国立美術館の所蔵作品の展覧会だからねぇ・・・・。そもそもフジタはこの国を離れた画家なのだから、この日本の国立美術館が、その真価を見せるってのは、結構難しいのかもしれない。いってみればフジタの汚名部分を再度世に見せているに近い所もあるじゃない?そこには結局日本の美術界と美術評論界の闇というか遺恨と言うか、ヘタをすると「フジタが悪い」みたいにいまだに彼に責任をなすりたい気分とか、そういうのもあるような気がして。
  フジタが絶望した日本の美術界と美術評論界って、その最たるものは、結局国立関連だったり日展関連だったりじゃん?最近も日展って腐敗の激しさが暴露されてたけど。そういう事じゃなくて、結局、特定の美術大学の学閥みたいなものとか、日本画優位思考とか、本場パリで勉強してくるといつの間にか本場もろくに知らない人々が権力を増してるとか、そういうのがあったとして、結局国立の様々も駄目ジャン、って事にならないと、日本を見限るわけが無いし。
  でも多分そんな妄執みたいな事は全く今の美術館の方々(特に若い方々)は考えてないのかも知れない。
  ただただ、日本の美術界と美術評論界の抜けないトゲみたいなものなんだよね。多分藤田嗣治って画家は国公立ではなく、民間でしか正当に価値を語れない画家なんだと思う。でもそんな中でも同じく裸婦画を真骨頂として戦争をテーマにした絵も描いていた古沢岩美氏は、藤田氏を全面的に認めていたんだよな・・・と。
  日本の国立美術館が藤田嗣治の自由さを、全面に出すって、結構難しい事なんだろうな、と思った。
  あ、でも藤田氏が表装や挿画を手がけた書籍が一杯展示されていて、その挿絵がきれいだったりかわいかったりで、非常によかったです。少女の絵も良かったです。  (2015_12/13 3:08~14)

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