◎ 「相棒 13 最終回SP ダークナイト」見ました。ものすごい作品だった。 昨日のオンエア時から何度か見ました。正直150点を付けたいのと、逆に100点だと思うのと両方です。 ただ、最初は確かにショックなラストだったんだけど、やっぱりシリーズ初期から、 甲斐編はこういう物語にしたかったのかもな、と思うのは・・・2012年、成宮氏がカイト君役で「相棒」に登場した時 徹子の部屋を見ながら例のイラスト描いたりしてた時に思ったんだけど、実際のドラマ開始時のカイト君は、 僕が成宮版相棒として予想していた人物像よりはるかに攻撃衝動的というか、何かを持っているキャラだと思ったわけで、 それがやっとこの最終回で、あぁなるほど、って二重像が一つに重なる感じがあった。 カイト君逮捕→成宮君卒業、にかなり不快感示している人々多いし、僕もそれは同意だが、 元々土曜ワイド時代から「相棒」ってのは警察内部の闇を暴くドラマであって、そういう意味ではついに 右京の捜査のメスは自らの相棒にまで及んでしまったわけだが・・・僕はカイト君の正義が必ずしも不純とは思っていないし、右京が純粋な正義だとも思っていない。法律による刑罰の量刑が妥当だなんて、本当に妥当かは(例えば)死んだ被害者にしかわからないからだ。 ただ、今回のカイト君のようなキャラクターの内面を設定したにも関わらず、セリフ的に迫り足りていない部分はあり・・・ 例えば何でカイト君が・・・現れたダークナイトの偽者に全てなすりつければいいにも関わらずあえてそれをしなかったのか?と言えば、それは右京氏の影響で「どの犯行か誰の犯行であるか厳密でなければならない」という事をカイト君が重視したからだろうし、 カイト君がなぜダークナイトになったか、なんて、そりゃあ右京氏との相棒生活の中で、それでも悪があるからこそ、その決断に至ったに決まっているわけで、 そういう甲斐享の内心を、カイト君自身に語らせなければならなかったのでは?ってのはある。 右京と共に2年特命課にいて(後注:もとい3年らしい)、それでもダークナイトたり続けた、その甲斐享なりの信念と覚悟を聞きたかった。 僕はもっと確信的であって欲しかったのだ。 (確信犯とは書かない。僕は甲斐享のような行為を必ずしも犯罪とは言い切れないので。) 僕はリンチはずっと否定してきているけれど、つまりそれは無実の人間に罪をなすりつける、もしくは量刑不当が普通にありえるからで、 人が殺されたり(ドラッグ事件でも)死んでいるにも関わらず、それ以下のダメージしか犯人に与えられないような刑罰って変だろうってのは、僕も常々思っているので。 (それはともかく・・・常々僕は、警察の役割というのは犯罪者に対する一般人の復讐を止める事だと思っている。つまり、一般人に逆の罪を負わせないために警察は捜査と逮捕をし、法律は犯罪者を裁く。その為に存在している。) ・・・どちらにしても・最終回は本当に共感できるドラマで、物凄くじーんと来たというのが正直な話。 で、石坂浩二氏演じる甲斐次長(カイト君の父親。ものすごい名演だった)の、ドラマ初期のセリフと今回のラストは完全に呼応していて、 やっぱりこのラストは最初から予定されていたんだろうな、と思ってます。 一番重要なのはこの甲斐編が、「人々の平和な暮らしの為に身を粉にして働いている警察官の家庭が、家族を取り戻す」という物語だった、という事で。何度か見るうちにその感動がすごく大きくなってきた。 カイト君は右京の相棒として「純粋な正義」を全うし、しかし裏ではずっと「不純な正義」をも実行し続けていた・・・結局の所、社会正義の為に家庭を顧みれなかったカイトの父親以上に、甲斐享は、仕事も私生活も、全てを正義に殉じたような存在だ。 しかもダークナイト事件の動機である友人の妹、途中話数の昔のガールフレンドの死、身近な女性を2人も犯罪で失って、しかも白血病で今の彼女も失いそうな情況だったわけで、 なんだかんだ言いつつも正義を遂行しているにも関わらず、家族の愛や身近な友人を失い続けるベクトルから彼は離れられなかった。 その彼が、最後に手に入れられた「家族の無償の愛」が、水谷豊演じる右京との相棒生活の、最も尊い成果だったんだろうな、という、そういうシリーズだったと思います。 だから僕は、その点ではこの甲斐シリーズを肯定できます。そういう意味では150点です。 ただ、僕は「相棒」というドラマの脚本自体に、大衆向けであるが故の限界・・・つまり人々にリアルを突きつけきれない矛盾を感じているわけで、そういう意味ではなんだかなぁ、と思った最終回でもあった。 でも今までのシリーズもそうだったんだけど、右京の「正義」は実は古い正義であって、若い相棒たちが(亀山にしても神戸にしても)彼らなりの正しい生き方に目覚めて巣立っていく。で、甲斐享の正義は若者の正義そのものだった。 だから大人の視点でやっぱりこの物語は片付いてしまう。それが僕的には疑問符の付く所で、僕だったらこういうドラマにはしない、と思う所でもある。 僕は「どちらの正義に未来があるかなんて解らない」と思っている。その点では右京の言った通り、物語はまだ途中なのだ。 (※ 僕は今の日本の政権が無血のままクーデターもなく続くとは、営々たる歴史を振り返ってもありえないと思っているし、もし政権交代があるなら、今の警官は全てやめさせられるんだろうな、とも思っている。それが世界ではリアルな現実なので。現行警察は現行警察だが、代替わりがないならその内崩壊して「別のもの」が取って変わるだけだ。で、僕はろくでもない連中に「別のもの」になって欲しくないだけなのだ。クーデターがあるのかないのか判らない。最適な状態が来ればいいだけだと思っている)
で、「ダークナイト」について・・・何でもっと前からドラマ中に仕込めなかったかというと、やっぱり「モノホンの警視庁を何度も映し出して更に舞台にしているドラマである以上、限界はある」って事なんだろうな・・・としか言いようがない。多分今回のシリーズではそれが最大の障害だったろうと思う。 それにしても今回の最終回SPはみんなものすごい名演だったなと思う。右京もカイト君も、伊丹刑事や甲斐次長や笛吹さんや、課長や幸子さんや米沢鑑識も、誰も彼もの演技がすごく・・・優しさだったり研ぎ澄まされたり、なんというかそれぞれに美しかった。すごいドラマだったなぁと思います。 次の相棒があるのかどうかって話だけど、今はこれで「相棒」は全話完結でもいいかも、って気分です。ラストにつれて重なっていく甲斐享の人物像。お互いを思う人々の言葉言葉。最後に恩師の心に傷を負わせてしまったと気づいた涙。機上の右京の無念と赦しの表情。 このシリーズって、回顧してもう一度見ても、実はブレてないかもしれない。ラスト20分はおそらくこの先も忘れられないだろうと思います。 (とりあえず 2015_3/19 21:13-21:50) P.S. ていうか、カイト=ダークナイトなのは、実は結構初期から考えられていただろう・・・ってのは、成宮氏が当初は2年予定の相棒であったって事と、ダークナイトの「ナイト」は、「カイト」にカタカナ字形が非常に近いからだ。
構想段階では、ダークナイトは「誰かが読んだ名前」ではなく、カイト君自身が名乗る名前の予定だったのではないだろうか?
まぁ僕は甲斐享がカイト君と呼ばれた時に、「怪盗みたいだなぁ;」と一瞬思ったので、最初は義族的に「盗まれっぱなしの窃盗品を取り返す盗賊」にでもなる予定だったのかもしれない・・・とふっと思った。
知っての通りダークナイトは、近作劇場版バットマンの事なんだが、つまりは相棒世界における仮面ライダー系やバットマン系のヒーロー(ヒロイズム)の否定でもある。で、僕は相棒を作っている東映が、仮面ライダー否定を本気でやるとは思えないし、その辺はまぁ「大河ドラマと一緒で、ドラマが違えば肯定されるヒーローでしかないよなぁ」と思う。ただ、この物語は相棒の中なのでこういう展開にならざるを得ないな、と。
・・・話を元に戻すと、成宮氏は当初2年予定の相棒だった。で、このラストエピソードは成宮氏が1年延長した事でやっとおひろめを見たというのが妥当だ。なぜなら、甲斐享の親友の妹、ドラッグ中毒の男に殺されたところの彼女の法事(多分三回忌)から物語はスタートするのだが、三回忌ってのはつまり殺されて2年目の法事だからだ(人が亡くなった時=葬儀告別式、一年経って一周忌(二回忌)、もう一年経って三回忌となる)。
つまり、このエピソードは、彼女の死を、カイト君と右京が出会う前、そしてカイト君の起こした最初の粛清も右京と出会う前として、設定&オンエアすべき物語だった筈なんだが(ならば甲斐編シーズン1開始→シーズン2終了まで1年半なので三回忌描写と整合する)、カイト君の人気ぶりで2年予定が3年相棒になってしまったので、カイト君が右京君と出合った後に初犯行という展開になってしまったんだろうと思っている。「右京は3年一緒に過ごした」と言っているしなぁ
まぁその辺は多分諸般の事情なので、相棒・カイト君編は2年くらいの間に起こった事と脳内補正すれば、なんとか納得できるんじゃないかと思う。テーマ的には完璧なんだけどね・・・。(2015_3/20 15:53-16:05)
P.S.2 ていうか、相棒のシリーズ中でも、まだ殺人事件に時効があったころの回で、時効成立しちゃってるから殺人犯人が解っても、その名前を遺族に教えるわけにはいかないといって、最後まで右京が突っぱねる回があった。右京ってそういう人だから。法律を遵守するけれど、それが間違ってて実際後に変更される程度のものでしか無いとしても、それを人間性より重視しちゃうんだよ。今回のラストもそうなんだけど、一種の病。 ダークナイトが何をなしとげようとしているのか?と言えば「正義をなしとげようとしている」に決まっているわけなんだが、もし別の目的があるとするならば、それは’時に人間性を無視してでも法システムに準拠し、ある意味法準拠を最終命題としている’右京の心を変える(もしくは右京に痛みを与える)という事だったのかな、と思う。「右京さんだって人間なんだから」というのは、それを一番カイト君が言いたかったって事だろう。右京は結局警察的、法システムの正義にのっとるけど、カイトはあくまでも人間としての正義にこだわった。(ていうか、警官でも昇進試験ごとに法律がらみでの理解を試す試験があるから、よほど強い魂を持ってないと、法律ルーチンに魂が負けてしまうんだと思う。そうなると結局は法律優先の人間性無視な警察上司しか現場に残らなくなるわけで(更に上だと現場にもいなくなる)、カイト君は、右京すら逃れられない、そういう非人間性そのものに抵抗したんだと思う。) ていうか「右京には人間性が欠落している」ってのは最初の相棒に亀山氏が付いた頃からの不変の設定で。ドラマ「相棒」は、だから相棒がいなきゃならないんだ、ってドラマなんだよね、最初から。 つまりダークナイトがなしとげようとした一つの事は、正義として「右京の心を変える事」「右京の非人間性へのトゲになる事」だったと思った。
あと、カイト君が大河内監察官の取調べを受けているシーンで、ミラーの後ろに杉下右京氏がこわーく浮かび上がるあのシーン、もろにスターウォーズのパルパタイン=ダース・シディアスで(笑)。フォース暗黒面の師と弟子を暗喩している → 甲斐次長のあの言葉につながる、のがもはや決定的。 つまり右京は、自分の相方を若き警察官にさせているけれど、それはある意味、右京と同格の究極の正義を作ろうとしているのに他ならず、カイトもいわばそうなってしまったのではないだろうか?って事なんだよね。けして右京に反発してダークナイトをやっていたわけではなく、結局、カイトは究極の正義になってしまった、って事なんだと思う。それを暗黒面とあえて言わなければ、大衆の見るテレビドラマとして成立しない。大体において特命係そのものが警視庁的には隠れた仕事を請け負う部署って設定だし、特命が扱うような人間の暗部を見続ける仕事、更に、働いても自分の手柄には殆どならない特命係そのものがある意味影で、あの大河内氏へのセリフは、特命係の甲斐享が言ってるとしても、実はまるで大差無いんだよね。影の騎士ダークナイトも、特命係の甲斐享も、影なのは一緒じゃん?光をあびて当然なのに影の中でしか生きられない情況、更に今後の事も考えれば、あぁ警察機構って罪深いよな、と誰もが深く思わざるを得ない。 それが相棒というTVシリーズの限界でもあるんだろう。どう見てもカイトが正しくとも、だからって現実の若者がみんなカイト行動に走ったって、正確性がないから無実の人間をリンチしちゃうわけじゃん。だからカイトが正義でも、ドラマのセリフではそれを言えない。(だからヒーロードラマのセリフの方が本当の事びしっと言えたりするんだが) ・・・だって、身もフタもない言い方をするならば、朝日新聞虚報問題やテレ朝誤報問題で、虚報や誤報をやらかした人々が当然リンチされかねない昨今、テレ朝番組としてはそういうリンチを肯定したくないし、実際各局で「報道人へのリンチは言論の自由の侵害で許されない」・・・などとうそぶいてるけど、あれって報道人がリンチされても仕方ないほどの虚報だって!!!でもそれを巧妙に各マスコミは批判するでしょ?僕も朝日新聞の虚報に苦しんだ事があるけど、無数の虚報誤報で人を苦しめた記者や報道達が「しかし報道陣へのリンチは犯罪だ」なんて、本来言えた事では無いんだよね。・・・・・・結局はそういう局姿勢の枠内で作られているドラマだから・・・・(2時間ドラマも全部)。もしかすると、法律云々って事ではないんだよ。テレビドラマの業だと思う。 ( 2015_3/21 2:11-2:55 )
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