● 寝屋川の中1少年少女殺害事件だけど、確かに犯人の罪が余りにも重いわけだが、やっぱり何で、商店街とか家族とか、誰も2人を暖かく迎えるとかできなかったかなぁ・・・ってのはある。
確かにH方市とか、不良がすごい地域ではあったので、夜中に店を開けて「まぁまぁ君たちどうしたんや?缶コーヒーでも飲むかアメちゃんもあるで?」とおじさんおばさんが声をかけるにしても、相手がたとえ中学でも相手によっては暴力的な不良ってケースはけして少ない土地柄ではなく・・・。
でもそんな中でも相手を見る力ってのがあれば、被害者の二人みたいなのは誰も看過したりは、普通はしないよなぁ、と思うので。
ところがその相手を見る力ってのが、最近の大人からはいちぢるしく落ちている、ってのは、本当に僕なんかは、日々感じる所なわけで。(例えば僕を攻撃してる今の連中なんて、堂考えても普通人が信じたりしなさそうなのに、肩書きだけでみんな信じてるわけだからね。しかもその肩書きの根拠ってめっちゃ訳解らないものだったりするし。)
多分そういう「人を見る力」ってのは、よほどの目にあってきてないと育たないものなのかもしれないなぁと思う。それは大人も子供もそうだよなぁ、と。(2015_9/4 21:53 )
● 次はNHKのクローズアップ現代が取り上げてた「司法取引を持ちかけられた側による冤罪捏造問題」についての文章。まぁ僕はぶっちゃけ「司法取引とかカスか」と思っているわけなんだが。・・・結構この話は長くなる予定。別ページ化するかも。(2015_9/4 11:59)
● 要は、僕(森本浩司)に対する、悪質連中(コミケスタッフや元コミケスタッフ込み)による集団ネットリンチってのは、いじめと同質なんだけど、
悪質連中の言う「神ならいじめくらい許せばいい」みたいな下衆ワードってのは、いじめで死んでった子達には通用しないし、大体浅薄な宗教家連中のいう「許されます」というのは「神に対してまた加害行為をした相手に対して悔い改めれば許されます」であり、悪質連中みたいに悔いてもいない連中は、仮に宗教を崇拝していようが許されるわけが無いし許されてはならないわけ。これは神として書きますが。
沖縄玉砕指令官(この屑とか→屑)なり玉砕指揮した指揮官連中とか無間地獄行きで、絶対許されるわけがない。罪を罪としてすら自覚せずに老人や女子供など弱者を巻き込んでどや顔で玉砕してったわけだから、あいつらは絶対許されないわけです。(それを玉砕させた側の肉親が表面だけで贖罪語って権力握るとか、贖罪もせずイベントでナチまがいの恐怖支配と個人情報支配ってのもかなりでかい罪ですよ?)これも神として言いますが。
大体ですよ、一般論で言うけれど、いじめ相手がまだ生きているのに、相手に対して悔いることも何もできない連中を、神が許すわけないでしょ?悔いるってのはまずはそういう事で。それすら出来ないドヤ顔の罪人たちを許すとか、そんなん他の無辜の人々に対して神のしめしが付かないよ。マシな人優先に決まってるじゃん。
例えば一般論で世間一般でいじめられてる生徒達とかに、仮にいじめられる原因があるとしても、死ぬまでの理由にはまずならないんだよね。いじめ受けてる子が死んでしまった時点で、どう許せって話だし、いじめ殺した(文字通りなら「虐殺した」)連中の、そういう罪が許されるとすれば、それはいじめやってた子が芯から後悔した人生を歩んで、そして死んだ後の話だよね。それまではいじめ連中は許しだのなんだの期待しない方がいいよ。
何よりいじめ殺した相手の肉親や友人たちがいつそいつらを殺したって、文句は言えないわけじゃん?(一人息子なら下手すると家系絶たれるわけだし)・・・そこに公正さを求めるなら、いじめ連中自身が警察に自首しろってことだよね。 (2015_9/4 10:02)
※ ささいな罪とか重い罪とか許されない重罪とか色々あるし、それをひとからげに「許される」なんてありえないし、そういう宗教は信じない方がいい、って事。(9/4 10:31)
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