● ていうか、この国ってのは「国家間の争いごとの解決法として武力に頼らない」事を憲法に定めてると思うんだが、
平和国家として歩むのなら、どんな対立であっても言葉(議論や説得や討論や国家間訴訟)などによって解決すべきなんだが、何でこの国は世界各国に「(我々の体験から考えても) 戦争は悲惨だ」という説得を徹底して続ける事ができないのか?なんで途中で諦めてしまうのか?
ていうか、実際にはアメリカでも結構反核の人々は増えてきているし、国務次官がヒロシマ70周年に来たからって安倍に「非核三原則を語るな」など圧力したとは思えない。要は、日本の政治家というのは首相以下、海外から軍事でも何でも要求(軍事的協力や、慰安婦等問題など)された時に、「そういうなら、こういうカードでどうですか」という対処法カードを切るんだが、その対処法カードがことごとく勘違いした方法だ、って事。変にアメリカに媚びたり、中国韓国に卑屈になったりという・・・そういう変てこカードになってしまうのが原因なのかもしれないと最近思う。ていうか切るべきカードが違うんだよ、ことごとく。
例えば「大東亜共栄圏」という思想があって、それは今は当時侵略をしたがった軍国日本の言い訳の旗印だといわれているけれど、それを聞かされて信じて一般人から赤紙召集されていた人々が全くその為に戦って死んだのなら、全体総数としてはその主張は事実だ、って事になるはずでしょ?ヘッドの考えてる事や政策や作戦がどうであろうが、人々はどうだったのか?って限りでは。
ていうか、それが事実でもそうじゃなくても、今の中国が目指しているのは、要は漢民族による大東亜共栄圏じゃん。チベット自治区や台湾に対する圧力のやり方は大日本帝国とそれほど変わらないし(文化大革命や天安門事件なんて恥過ぎる)。韓国はベトナム戦争で虐殺レイプしまくって、70年代まで国策買春やってたし、北の場合は朝鮮民族による北の繁栄だし。自民族の繁栄を旗印に他民族を圧するか共栄圏を作ろうとする、戦時日本となーんも変わらん。で、それを(それは悲惨だと)何で言えないのか。
・・・要は結局の所大戦当時から軍国思想的な人々の子孫をさも名士であるかのごとく祭り上げて議員にしてしまったり偉い人扱いにするような馬鹿な国民性だから駄目なんで。そういう人が政府や議員にいると、伝えるべき言葉が伝わらないわけで。彼らがいなきゃ言えるんですよ。で、結局そういう勝者正義の論理とそのシンボルにどんどん国を牽引させて国を売っていく阿呆な国民性なんだよな。
(今の政府も同じで国を豊かにするために色々思考し活動しているのは公務員ではない日本の民間人だけだ。日本政府は国債売って海外に借金する事しかできない。借金でなく金を稼ぐことができるのは、日本の「公務員以外の国民だけ」なんだ。つまり、この日本においては頭脳も神経も内臓も手足も全部「公務員以外の国民だけ」なんだ。(政府はこの国の頭脳ですらない)
政府や公務員は肉体に例えていうなら、インフラを整える白血球や抗体みたいなもんだ。それが頭脳と内臓と手足の維持機能まで食い続けてるのが問題なわけだ。)
ていうか軍事じゃなくてさ!!・・・僕はどっちかというと文化芸術とか平和的行為のために努力した人が偉い人として祭り上げられる歴史ってものを新造したいわけですよ。ていうかそういう歴史を新造したい人々って多いはずなんだよ。その人の現在の勝敗とか人生の勝敗とか、僕には全く全然関係ないんだよ。
ていうか神が報いてくれる、って、そういうのこそが期待されてるって事だからさ。
「戦争で勝ったから偉人」とかいう基準は下衆過ぎだからもう不用!!みたいな。そういう大河ドラマとか戦争ドラマとかもう不用!!みたいな。
ていうかこのサイトの僕流の檄文って僕は「公正な論評の法理」の範疇でやってますが、檄文も何も僕を含めた国民に実害が累積加算されているから怒ってるってだけだから、「書かなきゃならない事を書いただけ」で、末節に難癖付けられるのとかお門違いもはなはだしいんだよね。ぶっちゃけうざい。 (2015_8/8 3:46~4:00)
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