●スタートレックのイベント、STコンベンションの開始は1972年から。
◎ この頃、写真家の沢渡朔氏による「少女アリス」の展覧会が西武百貨店で開催され、後に写真集も出版される事になります。後程詳述。
先日の展覧会に行った時に沢渡氏の娘さんに伺った事も込みで書きたいので、ドール美術系日記に詳細、こちらで簡略に書く予定ですが、
そもそもこれは西武百貨店のクリスマス期展覧会に合わせて企画がスタートして、その後イギリス撮影、モデル選考などが決まった展覧会だという所が一つのポイントではあります。
ファンタジックな写真の作品世界と、モデルのサマンサ嬢の愛らしさは、写真を見た人々を魅了し、その後それに影響を受けたコミック群も多く生まれる事になります。
例えば大島弓子先生の「綿の国星」のチビ猫も、この少女アリスのサマンサ嬢(子猫っぽい写真あり)がいなければ、あのソバージュや白い服や顔つきになってなかったかもしれないし(1978年から連載)、最近ではFSSのクリスティンVの子供の頃とか、色柄は違うけど、あの太い縦ストライプの服になっていないかもしれない。
(※ 70年代後半に大島弓子さんのコミック作品集がサンリオから出ていますが、1975年のサンリオ刊の「詩とメルヘン」にも「少女アリス」が掲載されている号があったりします。 ※サマンサ嬢が白服着ている時の後ろのヌード女性は彼女のお姉さんで、同時にオーディションを受けてたらしい)
で、「綿の国星」のチビ猫は、コミック界におけるネコ耳少女の元祖と言われているわけで、チビ猫がいなければ、コミック界のネコ耳表現は、もっと誕生が遅れたものになっていた筈です。
(後記: 一応「S」の「けものの」特集での大島先生によると「明治か森永のお菓子容器の髪をカールした女の子」のイメージが発端、と書かれているんだけど、そういう内面的な所を発端にイメージが色々変遷してるんだなとは思う。実際チビ猫の絵柄は時代によって変化しているので。
まぁ、チビ猫とラフィエルの身長対比とかも、サマンサちゃんと巨人青年の身長対比に極めて近いから、言わずもがなだけども。他、黒背景コマとか。 後記終わり)
・・・ドール系でも、あ、これは少女アリスだな、と思う球体人形を作ってる作家さん作品が時折あります(当時のサマンサちゃんそのものを作れる人は少ないと思いますが)。それだけすごい作品集だって事です。
見たクリエイターの方それぞれで写真を見てから、考える事が違う、って事だと思います。逆にそういう風に人に良い影響を与えるものは芸術としか言いようがないわけで、にも関わらず「少女アリス」などの良質な芸術作品を各ネットから書籍欄など削除しようとしている今の動きは、極めて異常だと思います。まぁコミック作家もさ、影響受けたって人が「受けました!」とちゃんとみんな口に出せば、ここまで少女ヌード系写真集が「頭がちがちの無理解層」に貶められる事もなかったんだけど。
結局、写真史とかコミック史を解ってないんだよね。
沢渡さん達自身は、「自分たちはもう表現の自由について表立って戦う気はない」と展覧会の時にもおっしゃっていて、つまり「見れば解るだろう」というそのスタンスを崩していない。逆に声高に叫ぶのはおそらく写真家のスタンスじゃ無いって事なわけで。(おそらく「無粋だ」って事でしょう。戦ってくださいよとか言う意見もあったらしいが)
ともあれ、なんていうか僕は、そういう規制って「歴史の寸断」だと思う。
(2015_2/24 14:12)
で、それに対しては、本来は書店や問屋や図書館などが、政治や警察に反発しなくちゃならない筈なんだけど、図書館にそこまで写真やコミックの系譜を理解している人が少ないので(僕は今の図書館は・・・と思う)。公立図書館とかは地方自治体と組んでるものだけど・・・・私立図書館はもっと頑張らなきゃ駄目だよと思う。上が規制しろと言ったら全部規制、って、なら各自一般人の良心や美意識はなんなんだ、って事になる。せめて各作品集の芸術性は認めないと、当時作品を見た人々の感動と芸術認知はなんなんだ?って。本当に愚かな現代だと思う。 ( 2015_2/24 14:14)
サマンサ嬢のヌードは、英ロックバンド・レッドツェッペリンの「Houses of the Holy」ジャケット(ヒプノシスデザイン)の方が先なので、日本人写真家が脱がせたとかそういう馬鹿馬鹿しい批判はありえないと思う。ていうか、最近イギリスからの日本アニメへの風当たりが強いのはなんだかなぁと思う。(2015_2/25 16:09)
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