2015年2月25日水曜日

こーじアンテナ!

◎ この頃、写真家の沢渡朔氏による「少女アリス」の展覧会が西武百貨店で開催され、後に写真集も出版される事になります。後程詳述。
  先日の展覧会に行った時に沢渡氏の娘さんに伺った事も込みで書きたいので、ドール美術系日記に詳細、こちらで簡略に書く予定ですが、
  そもそもこれは西武百貨店のクリスマス期展覧会に合わせて企画がスタートして、その後イギリス撮影、モデル選考などが決まった展覧会だという所が一つのポイントではあります。
  ファンタジックな写真の作品世界と、モデルのサマンサ嬢の愛らしさは、写真を見た人々を魅了し、その後それに影響を受けたコミック群も多く生まれる事になります。
  例えば大島弓子先生の「綿の国星」のチビ猫も、この少女アリスのサマンサ嬢(子猫っぽい写真あり)がいなければ、あのソバージュや白い服や顔つきになってなかったかもしれないし(1978年から連載)、最近ではFSSのクリスティンVの子供の頃とか、色柄は違うけど、あの太い縦ストライプの服になっていないかもしれない。
  (※ 70年代後半に大島弓子さんのコミック作品集がサンリオから出ていますが、1975年のサンリオ刊の「詩とメルヘン」にも「少女アリス」が掲載されている号があったりします。 ※サマンサ嬢が白服着ている時の後ろのヌード女性は彼女のお姉さんで、同時にオーディションを受けてたらしい)
  で、「綿の国星」のチビ猫は、コミック界におけるネコ耳少女の元祖と言われているわけで、チビ猫がいなければ、コミック界のネコ耳表現は、もっと誕生が遅れたものになっていた筈です。
  (後記: 一応「S」の「けものの」特集での大島先生によると「明治か森永のお菓子容器の髪をカールした女の子」のイメージが発端、と書かれているんだけど、そういう内面的な所を発端にイメージが色々変遷してるんだなとは思う。実際チビ猫の絵柄は時代によって変化しているので。
    まぁ、チビ猫とラフィエルの身長対比とかも、サマンサちゃんと巨人青年の身長対比に極めて近いから、言わずもがなだけども。他、黒背景コマとか。 後記終わり)
  ・・・ドール系でも、あ、これは少女アリスだな、と思う球体人形を作ってる作家さん作品が時折あります(当時のサマンサちゃんそのものを作れる人は少ないと思いますが)。それだけすごい作品集だって事です。
  見たクリエイターの方それぞれで写真を見てから、考える事が違う、って事だと思います。逆にそういう風に人に良い影響を与えるものは芸術としか言いようがないわけで、にも関わらず「少女アリス」などの良質な芸術作品を各ネットから書籍欄など削除しようとしている今の動きは、極めて異常だと思います。まぁコミック作家もさ、影響受けたって人が「受けました!」とちゃんとみんな口に出せば、ここまで少女ヌード系写真集が「頭がちがちの無理解層」に貶められる事もなかったんだけど。
  結局、写真史とかコミック史を解ってないんだよね。
  沢渡さん達自身は、「自分たちはもう表現の自由について表立って戦う気はない」と展覧会の時にもおっしゃっていて、つまり「見れば解るだろう」というそのスタンスを崩していない。逆に声高に叫ぶのはおそらく写真家のスタンスじゃ無いって事なわけで。(おそらく「無粋だ」って事でしょう。戦ってくださいよとか言う意見もあったらしいが)
  ともあれ、なんていうか僕は、そういう規制って「歴史の寸断」だと思う。
(2015_2/24 14:12)

  で、それに対しては、本来は書店や問屋や図書館などが、政治や警察に反発しなくちゃならない筈なんだけど、図書館にそこまで写真やコミックの系譜を理解している人が少ないので(僕は今の図書館は・・・と思う)。公立図書館とかは地方自治体と組んでるものだけど・・・・私立図書館はもっと頑張らなきゃ駄目だよと思う。上が規制しろと言ったら全部規制、って、なら各自一般人の良心や美意識はなんなんだ、って事になる。せめて各作品集の芸術性は認めないと、当時作品を見た人々の感動と芸術認知はなんなんだ?って。本当に愚かな現代だと思う。   ( 2015_2/24 14:14)

  サマンサ嬢のヌードは、英ロックバンド・レッドツェッペリンの「Houses of the Holy」ジャケット(ヒプノシスデザイン)の方が先なので、日本人写真家が脱がせたとかそういう馬鹿馬鹿しい批判はありえないと思う。ていうか、最近イギリスからの日本アニメへの風当たりが強いのはなんだかなぁと思う。(2015_2/25 16:09)



◎ 70年代のカメラ系ヌード広告の続き。(右はカメラ雑誌広告分)
  1974年、町のカメラ店や写真屋さんに、右のヌードポスターが貼り出されました。フジフィルムの出していたカメラ「フジカST801」のポスターで、女性はGerd Tinglumさんと言いました。
  それまでにもカメラやフィルム関連のヌードポスターは多かったわけですが、彼女の身体が相当に豊満だったため、一般市民は相当びっくりしました。けれども、意外とこのポスターは評判が良かったです。僕は当時小一だったんだけど、多分現さいたま市の某商店街の写真屋さん(カメラ屋さん?)にも、親戚の家のあった区の商店街の写真屋さんにも、しばらくこの「ゲルトちゃんポスター」が貼られてたと思います。ていうか結構普通に貼られてました。(フジカST801を買うと、彼女のポスターが3枚もらえたんだそうな。画像参照。つまりカメラも売ってる写真屋さんには貼られてたわけね。)
  ていうか、商店街のお店の、特におばさんたちが、結構ニコニコしながらこのポスターを見てたわけで。「かわいいわねぇ」とか「色が白いっていいわねぇ」とか(そりゃそうだよ白人だし!)、おじさんも「愛嬌があっていいよな」とか。いわゆる芸術ヌード系じゃない人達に相当に受けていた。当然「なんでこの女の人ハダカなのー?」という幼稚園少女とかの言葉もあった気がする。僕はと言えば「・・・・・・わからない!!(^▽^)」とお手上げ状態でした。女の人ってわかんないなー・・・(って小1の僕は思った)。
  で、このポスターが社会認知されると同時に、ヌード写真系のカメラ広告はちょっと減ります。なぜかというと、彼女がインパクトありすぎて、しかも日本中の一般市民に受け入れられてしまったので、ある意味「ヌード写真撮影についての社会の認知とカメラマン&モデルへの理解」が達成されてしまったからです。目的が達成されてしまったから、殊更無理解層に対してヌード広告をぶつける必要がなくなった。
  「こういう太った女性でもヌードは清潔感あって長所はある・・・つまり誰かが大事だと思う人を大事に撮っていいんだ、恥ずかしがらずに写真撮って、現像してみてください」って、そういうテーマなんだよね。これ。当然アートヌードです。ポルノだったら写真店がそうそう軒先に貼れないので。
  1974年に「フジフィルムがこういう広告で全国カメラ店キャンペーンをした」=「フィルムの現像プリント依頼があれば、ヌード写真の現像プリントも請け負う」というシステムが整った、という事で。つまり、ヘアヌードや性器画像でなければ、(ここまで例示したようなヌードなら)町の写真屋さんから現像プリントできる体制になったのが、この頃だ、ともいえます。
  (※ ヘアヌードの現像プリントが解禁になったのが大体1995年前後(珍しくなくなったから)、現在はフィルム現像自体はどんなものでもしてもらえるが、プリント時点で性器が写ってる写真はキャンセルされる時があるらしい。 デジカメの自宅プリントがここまで常態化してたら意味無い気はするが 教えてGoo
  そして写真における健康的なヌード表現がほぼ出揃ったのもこの1974年ごろです。
  つまり写真による健康的なヌード表現と、それが芸術であるって認知は、日本では74年に完成された、と言えるわけです。芸術的性表現ってどんなものか、それはカメラ関連のヌード広告見てきた一般人たちは解ってたわけですが・・・。それが一応の結実を見たのがこのポスターで、74年だったと言えると思います。
  そして翌年コミケが始まります。写真では芸術的ヌード表現がほぼ出揃っているのに(まぁSMなどひどいものもあったわけだけど)、コミケが行う性表現とはどんなものだったか。長期スパンでいえば健康の反動は、不健康であり病気であり。芸術の反動は非芸術であり「マーケット」で売られる商品である。これは芸術写真ではない写真もそうなんだが・・・・コミケの同人誌の性表現はどんどん病んだものが勝利する状態になって行く。長期スパンで言うなら。
  アニメやコミックには純粋な表現もあるけれど、写真には写真で人間の身体に近しい表現があるんだよね。  (2015_2/22 4:18)

  ※ つまり、リベンジポルノがなぜ問題なのかというと、撮影された写真が芸術ではなくポルノだった場合以前に、それが「リベンジ」(復讐)だから問題なわけですね。(写真が芸術だったら批判対象足りえない気もするんだが)
   ・・・この日本は「復讐」や「私刑(リンチ)」を禁じています。で、なぜHの相手との写真の無断公開などがリベンジになるかと言えば、それはネット(2ちゃんだけではなく)で、被写体女性を中傷(彼らは論評だとうそぶきますが)する連中がいるからに他ならない。
   ていうか右のゲルトポスターにしても、清潔に撮られているし、いやらしくは無いでしょ?
   ところが、女性ヌードを中傷したり揶揄する意見を、今のネットのクズ市民は言うから、リベンジが成立してしまう。ゲルトポスターを見た昭和当時のおじさんおばさんのように、本当は長所だけほめれば「リベンジになりえない」わけです。
   表現というのは、表現する側が表に表出させるからこそ表現なのであって、受け取り手はそのテーマを類推するだけでしかない。その事を現代のネット市民はみんな忘れています。愚かというしかありません。  (まぁそれを最も忘れているのがコミケ系列だったわけだが 2015_2/22 12:35)



------ コミケの成立時からの問題点について。随時更新
●  この後1975年12月に、コミケ(主催者サークル名は「CPS」、サークル誌名は「いちゃもん」)が開始しますが、その成立の手口は、まさにテロ行為によるクーデターというにふさわしいものでした。
  詳細は後に更新しますが、以上で書いた通り(今後も書きますが)日本におけるアニメ漫画の仮装はコミケが始めたものではありません。各地の仮装行列や学校の学芸会文化祭などでの仮装の方が先です。また、後でUPしますが、若き手塚氏が手塚キャラのコスプレをしている少女と撮影した写真というのも、これ以前に存在しています。
  さらに元来のイベントにおける仮装はコミケで始まったものですらありません。コミケがつぶしたアマチュア漫画ファンのイベント「漫画大学」が、仮装を容認した事で、そこで始まったものです(彼らが後にコミケ成立に参画したことは事実なのですが)。というか、マスクを付けた以外はさほど忠実ではないやっつけ的仮装だったようなので、必ずしも仮装行列の仮装よりレベルが高いとかではなかったようですが。
  同人誌も、トキワ荘漫画家たちが東京に上京した頃からあり、「超人ロック」の聖悠紀氏は67年ごろ既に同人誌で作品発表してるわけなので、当然コミケが始めたものではありません。

  コミケの成立にはそもそもの問題性があります。もっとも問題なのは、その当時の(まぁグレンダイザーやゴレンジャー、鋼鉄ジーグや各少女マンガなど、既に生まれていたわけですが)アニメや漫画に対して・・・評論と称して文字通り「いちゃもん」を付けるサークルたちが、漫画大学から奪い取った参加サークル層をたばねて、その主導になってしまっていたことです。
  これは当時について書かれた某「~創世記」にも書かれていますが、彼らの主張はこうです。「アニメ・漫画などは、評論をされない限りただの漫画でしかない。我々が評論をする事で彼らの作品は意味あるものとなる」という主張です。極めて的外れで意味の無い主張です。
    簡単に言ってしまえば、作品に対する非難や中傷を容認する「いちゃもん」行為によって、彼らはステータスを築いていったわけです。 しかし、自ら漫画創作がろくに出来ない人間が各アニメや漫画などの品評や優劣を語り、それを「語ってやらないと」アニメや漫画には価値が成立しない、という思想は極めて異常です。(僕は、アニメや漫画は作品そのものが最初から意味やテーマを持っているものだと思っているので)
  まぁコミケスタッフに創作の実力が無いってのは、昔も今も変わらない事ですが。(僕と比べても全然実力無いしな。)
  いずれにしてもコミケが成立した根底には、各アニメ漫画とその作家に対する「品評行為」「誹謗中傷行為」があるわけです。その時点で既にコミケは表現職の人々に対するアンチギミックでした。


  それはつまり彼らのやりたい放題の「いちゃもん」なわけですが、しかしコミケの主催達には、原潜反対デモで火炎瓶を投げていた故・米澤氏や高校全共闘だったイワ●モン氏など、学生運動に参加していた人々が多く、つまり人集めのテクニックが非常にうまかった。人を丸めこみ束ねる事が巧みな人々が集まっていたわけです。
  CPSは、後に不正経理や暴力行為、参加サークルの個人情報の見せしめ流出で有名になった「コミケプランニングサービス」の略称の元でもあります。つまり昔のコミケを始めた人々のサークル名を冠する事で、他からの文句を封殺して、顰蹙行為の好き勝手をしたわけです。暴力的特務隊を擁する「CPS」不正経理事件やサンクリホール借りそびれ、それら顰蹙行為に対する批判を封じるための、サンクリとコミケ委託スペース参加サークルの個人情報のCPSスタッフによる見せしめ流出、のCPSの元ネタです。
  それでも70年代にはまだ理想があったのでしょう。
  元々漫画大学からコミケが人を抜き去ったのは、16歳の少女(80年代に故人)が漫画大学スタッフにクレームを出した時に「だったら参加しなくていいです」とその少女が漫画大学から言われて、それに対するシュプレヒコールを後のコミケ開始スタッフたちが延々と盛り上げた事によるものでした。そして漫画大学イベントは衰退し消滅しました。
  しかし客観的に考えれば、16歳の少女に対して「大学レベル」を維持したいとしている漫画大学が「来なくてもいいよ」というのは、考えてみれば普通の年齢制限的発言であり、それを言った「漫画大学」側は普通ではなかろうか?という考え方もあります。
  (後に、その16歳少女はコミケ主催サークルの一人と結婚したのだが、それがコミケスタッフが参加者をナンパする際の免罪符のようになってしまっていた。言ってみれば、後に多発した スタッフによる恋愛顰蹙行為の免罪符になってしまった。至、昔のコミケカタログの「いかさまスポーツ」のようなスタッフ状況)
  ・・・漫画大学は元々実験的漫画雑誌「COM」などの流れから、新人漫画家を育成する目的で生まれた雑誌コーナーの、今で言うオフ会イベントのようなものだったので、オリジナル作家養成や企業漫画家論評を大学的に行うイベントだったようです。つまり今、各大学や美大や専門学校で漫画についての学究をしている人々のはしりみたいなイベントでした。コミケはそれをつぶす事で出来たわけです。
  今はどうだろう?僕なんて性的盗撮をしてなくてそれでスタッフにつかまった事すらないのに(全イベントにおいて)、僕が、コミケがまともに告知もできていない撮影ルールの件を批判し、スナップ写真を擁護したってだけで、結局コミケコスプレ広場出入り禁止で、さらに「同人スペースに来るとスタッフが何をやるかわからないぞ」と元コスプレ総統括に脅迫まで受けたりした。
   とっくにコミケには草創期の理念は殆どないまま30年以上が経過しましたが。
   コミケ批判者に対する虚偽やデマや中傷を操る事で、現在のコミケは運営を続けているのであり、スタッフにはまともな論評はなく、ろくな創作者すら無きも同然です(まぁ僕のレベルと比較するのが無理ありますがーあっはっは)。
   しかし、「いちゃもん」行為を中核にして生まれたコミケには当然のごとく限界が発生し、その中傷の矛先、サークル作家に対する彼らの勝手な優劣品評の矛先はサークル参加抽選の中にも現れ、結果的にコミケの価値基準や既得権益臭を嫌った他の多種多様なイベントが生まれていく事になります。

  つまりコミケの問題性というのは、そのそもそもの「中傷性」です。
  ただの中傷性ではなく、入れ替わり立ちかわる中傷者の集団を束ねてコントロールし、草創期に漫画大学を潰したように、多くのプロアマ作家のサークルやその他を威圧している。それが成立期から続いてきました。
  例えば2ちゃんねる「同人イベント板」は初期は「特設コミケ板」と言いましたが、あの辺のスタッフは2chとコミケはかぶっていていわばタイアップ板です。コミケが掲示板を持つとスタッフの顰蹙行為がばれるので、コミケはずっとネット掲示板を持てず、だからあそこが活用されていたわけです。あの中での中傷行為も支配している言論コントロールの連中がいるわけです。(ていうか同人板のdatからhttp://yasai.2ch.net/doujin/kako/1008/10081/1008172524.html が消えてる。ひどい話。コピペはhttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/comiket/1285090689/の61レス目以降などに散在。)
  70年代以降イベントが増えたのは、地方イベントが無いから、でもあるけれど、コミケの主張が我慢ならないから生まれたってイベントもあるんだよね。しかしそれもコミケスタッフは論評にもならない論評で潰してしまう。彼らの論評になど意味は無いにも関わらず。
   僕は、コミケ系列の漫画アニメ論評やサークル当落選考などは、アニメ漫画文化における癌細胞のようなものだと思います。選考が同人作品それぞれの価値やテーマに直結していないからです。
    コミケの腐敗(2次創作の無修正エロ同人誌のホラー残虐系スカトロ系や(90年まで年齢制限がなかった)、80年ごろ以降の直営店によるナチス軍服腕章販売、ナイフ販売、薬物、拷問、死体、呪術、性風俗書籍等販売など)は結果的どんどん進んでいきます。(まぁ無修正ってだけで罪にするのは世界的にもおかしいとは思うけどさ、二次創作でスプラッターでスカトロってのは駄目でしょう(80年代ページ参照))
  この項随時更新。(2015_2/22 13:06から更新開始)

0 件のコメント:

コメントを投稿