2014年7月12日土曜日

こーじアンテナ!




◎ バルテュス展の感想です。6月22日まで東京都美術館で開催されてました。7月5日からは京都市美術館で開催されます。
  バルテュスはパリ生まれですが、ポーランドの貴族の末裔である画家で美術史家の父と、やはり画家の母親との間に生まれました(しかも両親の国籍はドイツ)。一般的には少女のヌードなどを描き続けた画家として有名ですが、それによって彼が評論家から受けた迫害などは苛烈なもので、彼はアトリエを転々としながら作品制作を続け、後に日本人大学生の出田節子さんと結婚し、多くの作品を残し、作品どころか建築物(ローマのヴィラ・メディチではフランスアカデミーの館長に就任して、メディチ家時代から適当な補修を行われた同館の美術的キュレーションを行いました。)そして最後はスイスのロシニエールにあるグランシャレに住み、少女と風景画を描き続けて、2001年になくなりました。この展覧会も出田節子さんの全面協力によるものです。
  で、自分がバルテュス(本名 バルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ。バルテュスは愛称。)という画家を知ったのは、多分高校3年か浪人している頃に、予備校の近くの本屋さんで画集や美術雑誌を色々読んでいた頃だと思うんですが、自分としてはとても普通な印象でした。ていうか自分もキャラクター絵とか色々書いているけれど、やっぱりアニメや漫画の少女ってのは結構はっきりした性格の少女が多いし、実際現代日本の元気一杯はじけまくった女どもと共に生きてる僕の立場としては、少女ってそんなおとなしいものなのかなぁ、っていうのは普通に感じていたわけで(そりゃ同学年として中学生や高校生を潜り抜けた男の子にとって、少女ってそんなおとなしい存在なわけがない!)。でも、まぁそれって各少女の個性かな、と今では思っているけれど。本当に個性によるよね。そんな僕は、今では多分、結構イデオロギー的に近いのかもしれない・・・と思える展覧会でした。

  今回の展覧会・・・の前に美術手帳も買って、NHKの日曜美術館も見たんだけれど・・・。   その前に、僕の美術の恩師は知っての通り、成田亨氏です。成田氏はウルトラマンやセブンの初代デザイナー。先生は僕と他数人に弟子と名乗っていいと言われて、弟子認定はほぼ僕が1号だったんだが、それはさておき・・・。
  成田氏は、詩人のライナー・マリア・リルケが大好きで、美術教室当時もリルケの詩集はいい、と勧められたりした。で、バルテュス一家は彼が子供の頃第一次世界大戦で、ドイツ国籍の父親の家財が差し押さえられて、パリからベルリンに移住し両親が別居、彼と母親はスイスのジュネーブに移住して、そこでバルテュスの母は先の詩人リルケと交際していたっていう。
  それだけではなく、・・・成田氏の恩師は清水多嘉示氏という彫刻家で(去年(?)なんでも鑑定団で作品鑑定あったね)、武蔵野美術大学の教師だったんだけど、その清水氏がパリで若い頃に彫刻を習っていたのがブールデル。だから成田先生はよく「自分はブールデルの孫弟子だ」と言っていたんだけど(僕はひ孫弟子か;)。
  で、ブールデルの代わりに清水氏はブールデルの弟子だった若き日の彫刻家、ジャコメッティに代わりに彫刻を教える事もあったそうで、バルテュス氏は晩年まで、そのジャコメッティの親友でした。(長かった・・・ふー;)
  つまり、僕の恩師が成田氏で、その恩師が清水氏で、清水氏の生徒がジャコメッティで、ジャコメッティの親友がバルテュス氏だったという。
  「六次の隔たり」って言葉(間に6人いれば世界中の人と間接的つながりがある)という言葉もあるけど、間3人だけの方で、
  ていうか、僕も作ってる球体関節人形というジャンルは、ポーランドのシュールレアリストであるハンスベルメールという人形作家が、ナチスへの反対行為として始めたもので、彼もポーランドの血を引いている。僕的には、色々惹かれるものがあったわけでした。

  バルテュスは子供の頃から日本調のもの(着物など)や、猫が好きだという気持ちを持ち続けていて、それが晩年まで彼の絵画に反映されている・・・どころか最後の夫人節子さんは日本人。
  彼はリルケに才能を見出され、まだ13歳にもかかわらず、彼のプロデュースで彼が買っていた「ミツ」という猫についての絵本を出版します。このミツというのは日本名で、光とか秘密を意味する言葉なんですが、「踊り子ミツ」jから来た名だそうです。
  若き日の彼は挿絵画の方向の作品を残していて、エミリーブロンテの「嵐が丘」の挿絵の仕事もしています。(元の小説1847年に出ているわけですが) 彼は主人公のヒースクリフとヒロインのキャシーに感情移入し、当時多難な恋をしていた自身と彼女のアントワネットを、自ら書いた挿絵になぞらえた油彩画を残していて、それら全部展示されていました。
 (そういえば「ルパン三世・峰不二子という女」のテーマ曲も「新・嵐が丘」といったりしたが。特にこの文には関係ないが;)
  そして、その挿画など若き日に描いた作品が、構図や主題として復活して、後の彼の絵画の方向性を決めていきます。
  少女を最初に描いた絵はテレーズという少女(彼の隣に住んでいた)の絵で、多くの絵が描かれています。その後彼はアントワネットと結婚しますが、しばらく後に別れます。
  何がどうしてうまく行かなかったのかは不明だけど、彼は初個展の段階から画商のピエールマティス(画家のマティスの息子さん)に注目されるほど絵の実力はあるとは言え、絵は一般人には売れず、相当な貧乏ぐらしだったみたいで、それでうまく行かないってのはあるのかもしれません。(彼女、アントワネットって名前だし、やっぱ性格上マリーアントワネットを意識してしまうような性格だったのだろうか?)
  そして、少女を描き続けたと言っても、彼は別にスキャンダラスに少女を転々としたというよりは、常に身近な人物との出会いの枠内で、画家として描いていきます。
  ていうか、彼の絵はすごく、古典的絵画というか・・・いわゆる「初期ルネサンス絵画」に学んだ作風です。(フィリッポ・リッヒとかあの頃?・・・ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵の模写を延々続けていたそうな) バルテュス氏は正式の美術学校で学んだわけではなく、しかしその技術(画家の、職人としての)は、当時のシュルレアリストの技術をはるかに超えています。実際彼は自らを宗教画家と言っているわけですが(ならなぜ少女ヌードを描いたりするのかという事だけど)、それで当時のシュルレアリストに仲間だと思われ、しかし彼個人としては迷惑で(なんか自分もそれ解る)、それで誤解を受けながら創作活動を続けていきます。
  後に彼はジャコメッティの友人にもなるんだけど、ジャコメッティもシュルレアリスト達から絶縁宣言された彫刻家だったんだよね。
  ていうか自分の恩師の成田亨氏も、抽象彫刻(ていうかウルトラ怪獣や星人自体が基本的に抽象化から作られているが)は作るけど、シュルレアリストは嫌いだと言っていて・・・しかしダリだけは別だと言っていた。意外と突撃ヒューマンの敵側モチーフ、ベルメールの版画から来てたりしたが、晩年は具象彫刻に戻っていった。ウルトラ怪獣などの絵も、つまりあれは抽象化されつつ具象。その、現代芸術の中で、具象に着地したいという気持ちはなんとなく通じている。
  成田氏はアメリカの絵画にはほとんどろくなものがない、と言っていたが、アンドリューワイエスだけは好きだそうだ。で、夢見るテレーズなどは、なんとなくワイエスにも通じてるよね。年齢も近いんだよ。バルテュス、ワイエス、成田氏・・・
  ただ・・・バルテュスは、作家のバタイユ(僕は苦手なのだが)の娘のローランスのヌードも描いていたくらいで・・・。バタイユの「マダム・エドワルダ」などの挿絵を描いていたのは彼の故郷のポーランドのシュルレアリストであるハンスベルメールなので、ベルメールの事も当然意識はしていただろう。で、僕もベルメールの人形は好きなのだが、ドローイングには苦手な作品もある。その辺、バルテュスの感覚はもっと牧歌的で、僕も結構理解できる。今回の展覧会も、実際そういう牧歌的作品群が多かったです。
  しかしバルテュスの場合は、少女をパーツ構成で考えるなどもっての他という思考だろうし、抽象という発想自体がおそらくほとんど毛程もない。あくまで少女の中の霊性というか奇跡というか天使性を見つめているわけで。何で彼が少年を描かなかったか?それは少年はいずれ戦争にかりだされてしまう、そのように育てられてしまう存在だとわかっていたからだろう。(バルテュスは第二次世界大戦で、地雷で傷を負っている)・・・だから彼は少年を聖なる存在にしがたかったのでは?と作品見ていて僕は思った。僕なら少年の絵で聖性を仮託するのも普通じゃんと思うけど(ルネサンスの絵画での天使や神々)、多分バルテュスはそういう事を思考がゆるせる時代に生きていない。バルテュスの時代は少年すら兵士になる・・・ナチスに少年兵が大勢いる時代。しかし当時の少女は戦争の加害行為とは無縁であるべく育てられる。
  バルテュスは地雷負傷し除隊されてから風景画を描いているがそれはもう戦争の灰をかぶったような真っ暗な景色で、けれどもその後ぱっと景色が明るくなってくる。なんていうか本当にやさしい人なんだろうなと思ったのは、第二次世界大戦中の自画像!!本当になんてやさしい顔なんだろうと思った。地雷負傷後のはずなんだよ、この自画像・・・・・・
  そして、手を頭の上で組み、スカートをたくしあげて足を見せていたテレーズ・ブランシャールも、戦後まもなく、25歳で早世したのだそうだ。
  そういう理由で少女をテーマにし続けるその意味は、僕も解るし解っているつもりだが。

  というかおそらくバルテュスの作品が「現代芸術かどうか」という命題は、スキル的な事以外なくなっているんだよね。だから、「彼がなんで自身の作品を宗教芸術だというのか?」は、彼の持っているスキルの基礎がその精神に立脚しているのと、内面の宗教的な事・・・によるのだと思うんだけど。 (ここまで、2014_7/3 4:47 JST)

  今回の展覧会で見てていいなと思った絵は、「夢見るテレーズ」や「美しい日々」やさっき書いた「1943年のバルテュス自画像」は当然なんですが、
  「嵐ヶ丘の挿絵群」「鏡の中のアリス」「キャシーの化粧」「おやつの時間」「横顔のコレット」「ジョルジェットの化粧」「猫と少女」「猫と裸婦」「地中海の猫」(いや、いやいやいや・・・後述)に、「日本の少女の肖像」など節子婦人の若き日を描いた作品群、デッサン系、などです。テレビや美術手帖などで紹介されていながら今回公開されてない作品もあったけど。でもなんか自分が共鳴したのは、初期作品では「空中ごまで遊ぶ少女」かなぁ。透明感があって、すごく良かったです。

  ・・・貴族家系で画家になるきっかけを詩人リルケに与えられ、初期ルネサンスの模写を自己流で続けたとは言え、彼は皿洗いのバイトをするなど貧乏画家で。しかし、初期の仕事の挿絵であるペン画の「嵐ヶ丘の挿絵群」が、後の作品に構図などの形で何度も反復されることになっていきます。で、この挿絵群のキャラクター達は(バルテュスが同化したキャラクター画なのだそうだが)、僕が思うに多分に「人形劇」的です。人形劇って、チェコのプラハが有名だけど、ポーランドも人形劇は盛んな土地柄なんだよね。
  人形というのはそのジャンルが割と子供に向けられたものであって、メディアの純粋性ゆえに、キャラクターを純粋に表現できるんだけど、つまりポーズとかにそういう雰囲気がある。
  それを具象絵画として表現するというのは、つまりペン画を油絵に置換する作業だが、概念や着想を生身に近い表現にしていく行為とも言える。そういう方法に行くのは心理的に純粋な画家、画家として純粋だからなんだろう。宗教画家だと彼が言うのはそういう事かもしれず、だから彼は人間の身体を再解釈したり再構成するような抽象絵画やシュルレアリストの方向性には行かない。マティスなどの表現に近いものはあくまでフレスコ画で表現しようとするし・・・技巧的に旧来の方法論で再現しようとするわけで。
  彼は少女(処女)を描き続けようとするのは、なんというか美しいからだろう(「完全に美しい」と彼は言う。)
  同時に、彼は熱心なカトリック信者だと現在では評論されている。でもそこにはやっぱり紆余曲折はあったんじゃないかと思う。地中海の猫は某シーフード料理店のために作られた絵だが、言うまでもなく魚はキリストの象徴だ。それをおそらくバルテュスの顔に似た猫が食べようとする姿(いやパンとワインをイエスと血と肉にたとえるのがキリスト教だが)。「ギターのレッスン」は彼が唯一ポルノ的だと認めた作品で(デッサン画が展示されてたけど、印刷と違って左から見ると少女の下半身をギターがわりにしているおばさん、意外と優しそう)いずれにしても、彼の信仰心はそう単純ではなかったと思う。若い頃の宗教画模写に信仰心は関係あるだろうけど、戦争→終戦、そしてテレーズが亡くなる過程もあるので。
  単純に少女はキリスト教で言う処女マリアの象徴であり、彼は少女を見ながら、そこにマリア性を見ていたのではないかと思う。そして見ているのはキリストを誕生させた「乙女」なり「処女」という存在についてだ。その霊性を表現しようとしたんだと思う。誠実に少女を見るなら当然そういう方向にいたるわけで、  でもそこを表現しようとする作家は少ないので・・・「猫と少女」なんて、とんでもなくかわいい絵なんですが、あそこに薄い肌色でハイライト入ってたりして(つまり色素で汚れて無いって表現)。つまり処女を表現しようとする気持ちが本当に本当に強い。(※局部描写については、テレビや印刷物の方がはっきり見えるので。ライティングで見てる間はほとんど意識しなかったです)
  なんていうか、もう「少女」っていうのは別の種族で、多分感覚として聖母マリアがその種族の象徴なんだと思う。イエスを宿した時、マリアは12歳という表現もあれば、15歳前後という表現もあるので。
  つまり、マリアが幼子イエスを身に宿した前後というのはこういう少女の時期で、それが本当なんだ、という主張が、当り前にあるんだと思う。

  でもキリスト教圏の具象絵画というのは、対象の美しさを霊性までいかに表現するかという事で、身体を描くなら、神の作りし人なるものを、どこまでその霊性の芯に至る表現ができるか、って事なんだよね。
  ・・・生身の少女を崇高に表現しようとするバルテュスの心理というのは、当然人体を解体、分析、しようとするシュルレアリストの方向性とは限りなく反発する。ありのままに描く、それが具象の方向性というもので、例えばピカソも表現的にはそれに反発している部分があるし、僕の先生の成田氏も、そういう宗教的表現はあまりしていない(成田氏はカテゴリー的に日本というか和のカテゴリーなので・・・)。
  (僕は・・・再生に興味がある。人形を使って少女の再生表現をしようとしている。瞬間表現は連続写真的で完成しているとも言えるんだが、人形が完成しない事には連続時間表現として完成しない。12月24日生まれなんだけどなぁ、僕は・・・・・・
  僕は少女が全て完全に美しいとは思ってない。それは性格もあるし宗教性もあるし。どの少女も同じって事はなく、同じに尊いって事もなし・・・・けれど、完全に美しいと思った少女はいるしそういうイメージはあるから、絵に描いたり造形もするわけだけど。)     
  バルテュスは激しい恋を経過して結婚もして子供も出来たり別居もしたり、メディチ家時代の建築物の再現を担当したり。
  ・・・そして後の節子夫人に出会うわけだけど、そのデッサンはどれもこれも本当にきれいで優しさに溢れています。もちろんそれ以前の少女画もきれいなんだけど、なんていうかつまり、バルテュスが望んでいた宗教的な心持ちの少女のイメージを完全に持ってる女性に出会えたという感じなんだと思います。だから節子夫人はバルテュスに出会った時二十歳の学生だったんだけど、デッサン画のタイトルに「少女」と付いてるわけで、それは当然だよね、と。(僕も当然のようにそう思う、うん)
  結婚後の彼は本当に西洋東洋に関係なく自由な感覚で、自由に絵を描いていき、絵に漢字を入れてみたり、さまざまな試みを彼の作品に加えていきます。
  一貫して彼は彼がアトリエを構えた地方の風景画を描いていて、それはその土地土地に対する愛情からだろうし・・・そういう所は、転勤族の自分なんかはなんとなくよく解る。
  僕も過去転勤してきた所の人に会いたいかどうかといえば半々だけど、でもその土地に対する愛着はどうしたってあるわけだから。・・・でもその場所に行って、昔どおりの電車が走っているかといえば今はないし、昔のおもちゃ屋があるかと言えば無いところもあるわけで・・・難しいよね!
  いずれにしても風景も少女も自然なものとして、自然であるがゆえに神の祝福を得ているものとして彼は描いているわけで、その最たる主題に奥さんも含まれている、それを奥さんも容認しているって関係は、本当に幸せなものだったんだろうなぁと思います。
  晩年は視力が衰え筆を持つこともやっとで、そんな中でも隣の家の少女をモデルに絵を描き続けていくんですが、その最晩年の作品があまりなかったのがちょっと残念だろうか?
  いずれにしても、彼の作品を、児童ポルノ法が改正される前後にこうやって東京都美術館が人々に再認知させるというのは、とても大きい意味があると思う。

  僕はふっと思うんだが(いや、僕でなきゃ思わないのかもしれないが)、キリスト教的に・・・「表現の自由」というのは、いつか神なりキリストなりがこの世に生まれた時に、自由に(神なりキリストが)ものを言えて表現できるためにあったんじゃないだろうか?と。
  神の表現を規制するとか、間違ってるよね? とあえて僕は言いたい、本当に。

  さておき、バルテュスの作品の基本にあるのは、確かに彼の美意識と宗教意識で(あぁ今回の日曜美術館はいい特集だった)。あぁ、ラストの篠山氏の写真群も本当に良かったよね。そんなバルテュスも2001年になくなっている。
  やっぱり対象物への愛情があるデッサンや絵画ってのは素敵だなと思える。で、それぞれ、その時々、縁あって、一緒に暮らしたり、それぞれの道を歩むにしても、その時々対象をモデルを、必死に描こうとしたその姿勢というか、その裏の宗教性というか、それらがそのまま見れたというか、本当にとてもいい展覧会だったと思います。

  ていうか自分はこういう展覧会に行く時にはなるべく図録は買うようにしてるんですが、今回はお金足らなかったので、グッズ系があまり買えなかった!やっぱり1万円以上は持って出なくちゃなぁ・・・。絵葉書などは買ったんだけど。
  告知されてないですが、バルテュス自身の自画像である「猫たちの王」の3Dプリンター再現フィギュアってのが3~4000円で売られてました。ファンはやっぱり買うべきだろうなと思う。
  「ミツ蜜」とか駄洒落かい!って商品が最近の展覧会物販に多いのも素敵でvvv)・・・あと、これ買いそびれたのは自分にとって致命傷だったけど、買っておけばよかったと公開したのが「ブレッソン撮影のバルテュス5枚セット」!!これは本当に買っておけばよかったです。真剣に後悔。展覧会にはお金持っていくにこした事はないです!本当に。(Balthus the last studiesの写真集も売っていた。10万円。つまり、やはり芸術は児童ポルノ法の対象ではないという事なんだ。東京都美術館が物販で売っているんだから。)
  帰りがけに三菱一号館美術館の「バルテュス最後の写真展」にも言ってきました。こちらの展覧会もいい展覧会でした。ここでも写真集は売ってました。感想は・・・・・・色々あるよ、本当に。誤解されずに、書く機会があれば。(ここまで、2014_7/12 7:07-11:20 JAPAN TIME)




◎ 昨年撮影した女の子の写真から。だいぶ前UPしたデッサンと同じモデルの人です。 →
  モデルさんは20代。いわゆる普通の撮影会とは違うんだが、ヌード撮影会自体僕はあまり行かない。
  モデルさんの性格(若干フェチ系だけど創作もしてる人)とか何も知らないし。ライティングも暗くて撮影は難しかった。
  でも僕が撮ってるわけなので(モデルさんも力量ある!!)、いい写真は一杯撮れました。当然!!(大体フラッシュたかずに室内光だけで撮ってるんだから、力量ないと撮れるわけない(笑))
  ただ、こういう絵にするとなると、写真は写真の構図というか、絵には絵の構図があるので、それは結構難しいです。写真と絵では、構図感覚や美的感覚が違うんだよ・・・。
  直前に描いたモデルの人の方が身体のラインが僕としては身近に感じるというか、描きやすいです。描いてて素直に気にいるし。でも、この子は日本人的な所が多分にあるプロポーションなので(そうか?少女っぽいけど伸びきってて不思議)、僕には本当に難しい。描けるとやったぁと思うんだけど。
  ていうか自分はヌード絵を描くとき、下着をまず書かないというか、女の子の下着に興味がないんだよね。昔から。パンチラとか僕は元々全然興味がない。
  心理的に美術方面にいるから・・・例えば神話とかの絵だと下着は描かないじゃん、ほとんど。女神が片方胸あらわにしてる時にはうすい布みたいな衣服をまとってるでしょ?大体・・・あれは僕としては着衣カテゴリーだから・・・
  自分で撮った写真を自分で絵に置き換える意味では、自分で作品作ってる気になれるのは幸せだと思うけど、こういう風に下着を着けてて靴を履いてるっていうのはやっぱフェチ方向性。
  なので、自分のラインとは違うんだろうなと思う。
  多分二十代の大人の女性を、少女的に見たてて絵を描くのが僕には無理なのか。成人は成人、少女は少女として描きたいし、成人女性に希望の持てない僕には大変なのかも知れない(;;)
  この絵自体は気に入ってるんだけど、僕の絵の方向性とは違うなと思う。写真から描く場合では、これは一般でも上の方のデッサンだとは思うけど。
  本当は撮影会じゃなく自分で対象の人に演じてもらって写真や絵で作品を作りたいです。ていうかそれが本来普通なんだと思う。(2014_7/12 7:30 JAPAN TIME)

  P.S. 余談。つまり、写真ではもっと身体が部分的に四隅からはみ出ててもいいけど、絵画でははみ出過ぎると絵にならない。はみ出ると絵じゃなくてポルノと言われがちで(美少女ゲームとかそうだよね)、違うジャンルに扱われたりします。その境界線まで対象の存在を大きく描くってのも大事なんだろうけど。
   僕の作ってる人形でも難しかったのは・・・肢体に対するひじやひざの球体の大きさで、あまり小さいと球体がどうでもよくなって、球体関節人形という主題そのものがどうでもよくなっちゃうんだよね。
  これは年長作家の方々もつねに気にしてると思うんだが、意外と最近の若い作家たちは気にしてない。いいのかな?と思う。

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