2015年1月31日土曜日

こーじアンテナ!

◎ 昨年、三菱一号館美術館の 「バルテュス・最後の写真」展 に昨年半ばごろ行って来ました。随分遅れたけどその感想です。
  バルテュス展についての感想(これまた長いけど。ジャンプにはIE要)は下の方の感想文参照です。   パリに生まれたバルテュス・・・第二次世界大戦なども経て各国を転々とし、メディチ家遺構の学芸キュレーターなどもし、やっとたどり着いたのがスイス・ロシニエール村の グランシャレ という、スイス最古の木造建築でした。バルテュスは愛妻の節子さんと住み、最後までそこで創作活動を続けますが、スイスへの転居の理由は持病のマラリア(砂漠からシロッコという風邪が吹くと悪化するとの事←日曜美術館)の悪化を避けるためでした。その最古の建造物の通り向かいの馬小屋を改装して、アトリエにします。この展覧会は、少女ヌードの写真のみ。隣に住むアンナ・ワーリーという少女の写真のみの展覧会でした。   当時バルテュスは既に視力が弱っていて、デッサンの為に筆を取る体力も残り少なくなっていて、そんな中膨大なポラロイド写真を残していますが、その画像の全ては最晩年の作品の構想であり断片とも言えます。そしてポラロイド写真自体にバルテュスは慣れていなかったので、結構ピンボケが多い・・・ですが、その中でも一貫したスタンスを感じる事はできました。   つまり、彼が若い頃から追い求めていた初期からのルネサンス調絵画構成。そのルネサンス調の要素なり、現代に至るも普遍的なるもの、もしくは(十代前半でイエスを身ごもったとされる)マリア=マドンナの彼なりの姿、それに一番近い少女なるものの姿・・・などだと思います。いわば受胎告知的な法悦とでも言うのか?それはルネサンスでも何度も描かれていた題材ですが。   ・・・・Eテレの日曜美術館でも「バルテュスは少女の成長期に見せる一瞬の美に魅せられていた」とは言われてたけれど、その一瞬の美に普遍性があるって事で、僕はそんなポラロイド群も立派な作品群だと思いました。完成した遺作も・・・綺麗だよね。夢があって。   簡単に「夢」って書いたけど、バルテュスが亡くなったのは2001年だから、この未完の遺作の未完ゆえの完成は、21世紀の最初の年だと言う事もできます。そこに至るには、日本にあこがれた幼年期、画家として苦しんだ時代、戦時中で負傷した時期もあり、各地を転々とした時期もあり、その夢全部を未来に託す・・・という意味もあると思います。20世紀までの彼自身の学んだ美意識や構図センスや良きもの・・・なんていうのかな、それらを夢として、次の世代にバトンを渡すような、そういう事で。   このポラロイド写真群は「Balthus: The Last Studies」という写真集にまとめられて、東京都美術館のバルテュス展でも、この会場でもブースで販売されていましたが、ものすごく分厚く大きな本で、10万円前後するので僕には手が届きませんでした。いつかは欲しいとは思ったけれど・・・  (まぁ、僕的には東京都美術館で売ってた「ブレッソンの撮影したバルテュスの写真5枚セット」をボケっとしてて買いそびれたのがほんっと不覚だったと思っていまだに悔いていますけれどもorz)   つまり、その写真集も、未来の美術作家へのバトンに、ちゃんとなってるんだよ、おそらく。
  ・・・で。大人になったアンナワーリー嬢の言葉が展覧会場の入ってすぐの所に貼られていて、それに自分は胸を締め付けられたんだけども。「私達は共犯者だった」と。何が共犯者なんだろうね?誰が罪だというんだろうね?バルテュスは彼女を不幸せにしたのか?(過去の彼がその彼女をみんな幸せにしたとも思わないが、アンナ嬢の場合は)   各種の圧力は海外にもあって、それが彼女に「共犯者」と言わしめている。これはテレビインタビューでも言っていて、笑顔で毅然としてても痛々しいと自分は思った。   世間からの風評が彼女らを苦しめていても、彼女的に一度芸術を信じるなら、生涯信じる、っていう生き方の方が美しいと僕は思う。世間は責める矛先を間違えちゃいけない。   僕も・・・なんていうかな、コミケは信じるには値しない所だったけれど、芸術とか写真とか、作品としてのアニメコミックというメディアは、信じてもいいような気がするんだ。人次第で、そういうジャンルは。   (だから、ほんっと愚かな言説ばかりだと思うんだけど、性的な下世話な目的の為に使う写真だったら、そんなんじゃなくてもうほんの数百円か高くても千円から二千円位までの間でみんな手に入れられるわけじゃん?そんな高額のポルノとかあり得ないって事が何で解らないのかな。どこもかしこも愚か過ぎる)   ・・・色々思う展覧会だったけれど・・・なんか別に小学生の男子も母親たちと見に来てたりしていて、その子がこの展覧会を理解できたかは解らないけれど、こういう芸術がどこかにある、って事を容認できるようになれればいいな、と思ったりもしました。   彼が生涯生きてきた、そのもっとも美しい夢をそのまま見る、そういう展覧会だったです。 (2015_1/31 7:29)

● いわゆるアニメ・コミックの表現の自由的に、僕がどういうのを児童ポルノだと思っているかもう一度書くと、(例えば少女漫画やレディースコミックなどから考えた場合と思ってください。)   僕は、13歳未満の幼児を性交対象として扱った漫画やゲーム同人誌はポルノだと思ってます。法律で13歳前の女児との性交は禁止されているので。   13歳以上の恋愛上の性交は純愛なら禁止されていません。アニメやコミックで純愛を描くのは可と思います。みんな勘違いしてますが、それは青少年健全育成条例以前の問題です。   つまり僕は、ちゃんと恋から恋愛に至って、結婚なり子供作ったりを肯定できる、善良な作家たちが、善良な人々に向けて、その作品を送っているのかという事を一番重視しています。   芸術写真としての少女ヌードは年齢制限なく認めるべきと思ってます。
  例えば、僕に対して「自殺に追い込む」などと脅していた猟奇・汚物・幼女レイプ系同人誌の連中がいて、(コミケのスタッフや都立産業貿易センター台東館を追い出されたアブノーマルカーニバルというポルノ同人誌イベントのスタッフや参加者など。)自分もかなりのストーカー被害を受けてましたが(今僕を2ちゃんで叩いているスレッドは850スレッドを超えてますが、彼らのオフ会の幹事がアブノーマルカーニバルのスタッフでした)、   このイベントは読売新聞や産経新聞に、間違いなく「ポルノ同人誌イベント」と書かれていました。   ポルノってのは扇情目的の粗製乱造の大量販売物です。で、そういう13歳未満の女児がレイプ輪姦されたりするような同人誌(しかも二次創作も多い)を彼ら(今アブノーマルカーニバルはないので、コミケやコミック1などの参加サークルという事になりますが)は平然と生産販売するわけです。あれは表向き被害者はいませんが、18禁で性交描写があれば、ポルノと言えます。   ポルノチック(ポルノティック=ポルノ的、ポルノ風)とは違います。      少女の写真でも、例えば  純然たる芸術(ヌード含む)  ← グラビア的(民衆・大衆向け) ← ポルノチック (境界)← ほぼポルノ ← 幼女セックス と、段階があって、   本来ポルノチック程度では罰しはしないわけです。(水着やレオタード写真などはポルノチック以前です。ていうかそういう写真もなければ女子クラシックバレエものや女子ビーチバレーものなんて描けなくなります。大体そういうコミックでもアニメでも同人でも、作り手が少女モデル使って撮影したものを参考に作画するのが普通です。いちいち他人の写真の構図盗作だとか作家が言われる方がダメージあるので)   問題はその写真作品などが、粗製乱造の扇情性があり販売目的で悪質であるか、という「ポルノグラフィーであるか?」って事なので。   それを「これは児童ポルノなんですか?」と聞きまくる今のネット市民の方が異常かつ馬鹿なわけで。だって、法律社会の原則として「疑わしさのあるものを罰してはならない」んだから。作家とモデルの意思に関係なく、芸術をポルノだと認定する権利はネット市民には無いんだから。明確に芸術じゃなくポルノでなきゃ、児童ポルノ禁止法で、罰することができない。   仮に芸術方面から先に駆逐するような事態になると、「良作が悪貨を駆逐する」の逆に、「悪貨が良作を駆逐する」の事態になってしまいます。それは避けなきゃならない。
  で、今回のamazonセンターへの家宅捜索ってのは、ネットで色々言われてるけど、容疑によるもので、逮捕ではないんだよね。しかもどの作品に関する容疑なのかがはっきりしていない。   この日本の法律でも、厳然と(社会科でも習うと思うけど) 「 疑わしきは罰せず 」という原理原則があります。「あやしい」とか「疑わしい」「疑いがある」というだけで人に罰を与えてはならないという事です。それをやったら2ちゃんねると同じです。   だから、本当はこういう報道もすべきではなくて、まだそれ以前の問題です。裁判でちゃんと有罪になるとか、少なくとも、「どの作品のせいでamazonの件が検察送りになった」、とかでないと、全く何も参考にもならない報道なわけです。   (※ 今回の場合、そういう芸術作品を、性表現系作品として販売しようとした連中のせいで、よりこじれて問題になってるのですが(amazon含めて)・・・まぁひどい作品もあったのかもしれないけど)   何でこういう報道がなされるかというと、まずこの問題にメディアとオタク連中が発情しているのと・・・何よりも、警察が監視社会(ナチスも監視社会で通報社会でした。市民によって多くのユダヤ人が死にました)の市民に対して、同意をして欲しいからです。ネット社会的に、善意の人々に、集団圧力で罰して欲しいからです。   だから、芸術作家やその作品まで威圧するような今の事態はあまりにも酷いと思う。というのが僕の考えです。芸術作品に参加した過去の少年少女モデルに対して、「君はポルノに参加したのだ」などという誹謗中傷侮辱は、絶対にゆるされない、と僕は思ってます。そんな事をいまさら言い出す方が、わいせつ目線だと思います。  ( 一応法学部中退。 2015_1/31 4:39-5:09) 

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