2015年1月30日金曜日

こーじアンテナ!

● 愛知県警が国辱行為やる気満々なのか知らないが、おそろしい事に、amazon.co.jpから、沢渡氏の少女アリス系や石川●●氏の少女系まで消えてしまった。ここまで来ると文化記録的大量虐殺の感がある。単純にamazonが意気消沈した可能性も無くはないけれど。   というか芸術作品を作ろうとして、芸術のつもりで撮ったカメラマン、芸術に参加するつもりで撮られた少女達に対する侮辱犯罪なんじゃないかと言える。愛知県警の傲慢には違いがない。   違いは無いんだが、各作品を児童ポルノと見るかどうかにはまだ時間の余裕があるだろうから、擁護できる範囲で今後も書いて行こうと思う。
  とりあえず70年代の「少女アリス」がなぜ芸術作品扱いで、復刊などが何度かされているかというと、ひとつには被写体のモデルさんとその家族が毎回その肖像権と版権を認めている40年も前の写真だからで、その点からも虐待はありえないという事がある。(この項は後でちゃんと書きます。)   更に「少女アリス」の場合、元々ポルノグラフィーではなく、高島屋デパートのクリスマス写真展として企画が持ち上がり、そしてその写真展の為に撮影がなされたわけで、元々写真集としてスタートしたわけではない。また、それぞれの写真そのものに高額価値がついているのであり、当時の写真集から現在に至るまで、いわば、「芸術写真を芸術・写真に理解ある一般の人々の為に、あえてまとめて出版したもの」という事が出来る。(書籍化されたのは展覧会後である)   つまり初期動機がポルノではなく、それらの写真を芸術だと認めた人々が最初から大勢いる。   芸術写真という初期動機で撮られた写真群を無理やり非芸術だという事は出来ない、って事です。   で、それを仮に為政者側がポルノだというのなら、つまり為政者は70年代の沢渡氏らが彼女を騙して芸術(アート)ではなくポルノに出演させたと証明するしかないですが、そんな事は誰が見たって当然不可能です。それは、カメラマン、モデル、スタッフ、企画陣もそうですが、当時高島屋デパートのクリスマス展に出かけて、それが美しい、善良な表現だ、と認めた多数の来場客・・・その人々全てが芸術の証人なわけです。   だから、「少女アリス」が児童ポルノだという論理は、あり得ません。   (で、少女アリスがどういう芸術だったのか?って件は後の展覧会感想項で書きます)
  下の方の項で、さらっと書きましたが、石川●●氏のソ●ィ嬢たちの少女ヌードにしても、1981年にソ●ィ嬢は来日して書店でサイン会までやっている。それは彼女が芸術参加のヌードモデルとして自己実現していた証です。   例えば(下にも書いたけど)1981年当時彼女らのヌード写真は81年1月号から6月号までの「カメラ毎日」に半年間連載掲載されていました。で、カメラ毎日というのは毎日新聞社のカメラ雑誌です。特にカメラ毎日は表紙がヌード写真だったりしましたが、81年はほぼ全号表紙が成人ヌードです。   つまり、石川氏の少女ヌードは、毎日新聞が芸術であると認めて、当時バックアップしていたという事です。そこまで認められているものがポルノだと安易に言えるわけがありません。   だから近年の報道の毎日新聞社の姿勢は、まるで自らの歴史を知らない者たちが報道しているかのようで極めて不快なのですが。   少女のヌードというのは人間のヌードの中でも最も清廉なのであって、その写真化を否定するなら、清廉なヌード表現の追究自体の否定になります。   そして彼女の写真集は最近amazonのkindleで頒布販売されていましたが、彼女に印税が入っていないわけはないです。つまり、そこでも虐待はなんら行われていないと推察できます。
  「さっき大事な事を自分は書いた!」のでもう少し書くけれど・・・つまりジョックスタージス氏の写真が芸術な点からも書きますが、   海外のヌーディストには楽園回帰(エデン回帰)願望というのがあって、その思想が根幹にあります。つまり人間が罪を犯す前の状態に帰りたいという願望です。   自然に対してヌードであるというのはつまりエデンの園に帰りたいという表現で自分も共感する。で、その為に最も必要な事は、自然体である事と同時に「嘘を付かない、善良である、善である」という事です。   つまりそういう思想の彼らは「善良であり、罪を持つ前の姿に帰る」ためにヌーディストになっているわけで、その善良さを表現するためにスタージス氏が写真を撮り続けている(というか当然そういうことになりますが)という芸術なわけです。   つまり根本的に彼らが罪を犯していると言い張る事自体が、既に間違っているわけです。それは文化の違いにのっとった善の表現でしかありません。ていうか聖書のエデンの園の神話すら理解できずに、海外文化が解るわけがあるか、ってレベルです。   日本人がそこまで駄目じゃ海外を何も理解できっこない。無理じゃん。   で、報道も写真も書籍もそうですが、異なる文化を伝えるためのものです。悪の文化ならまだしも、自然な善の文化をスポイルする日本であっては、絶対にならない。ここはあえて言い切る。  (2015_1/30 15:14-15:39)

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