2014年12月6日土曜日

こーじアンテナ!

◎ 逆に「4月は君の嘘」はとてもいいアニメなので見てる。これもまた結構辛い所が核にあるなぁと思うんだが、   でもなんか今回はピアノ演奏がろくに出てこなくて、ほぼ回想シーンばかりで、前半の主題歌前、前回の回想で申し訳・・・って感じだったけど。   例えば自分がピアノの発表会に最後に出た時(中2の頃、大阪のすごくでかいホールで)も一回止まってしまって恥ずかしい思いをしたけれど。(前半1/4くらいのところで・・・同年代でやってる人からみれば難曲ってわけでもない曲だったんだろうけど)そんな事を結構思い出す。まぁ止まらなければレベル4の曲でも、止まっちゃったらレベル1だよね。   ていうか発表会の曲を、自分の弾きたい曲ではなく、先生の出したお題で、僕に合ってると思う曲(自分的に、難易度は最高ってわけではなかったんだが)を弾く時、中2位の年代だとどうなんだろう?   自分の場合はもう最初から条件反射で身体で覚えるタイプだったので、思考とかそういうのをあまりしなかったし(だから大阪府のヤマハの発表会で一度止まった時に、頭の中でイントロから再生するのに5秒~8秒かかったと思う。長いよ自分; 終わった後先生はとても良かったってほめてはくれたが。)、譜面読みながらいきなり身体で覚えるから。だから僕の場合譜面が消えるとかなかった。もともと譜面が頭にないから。   中2の学校の歌唱発表会でピアノ弾いた時も崩壊したが、でもトからヘに転調しろ(確かそんな感じ。2度低くしてと言われた。高音が歌えないんだって)と言われていきなり崩壊した。一度身体で完全に覚えたことを転調しろっていわれても、僕の場合は無理だった。完全に無理なオーダーなんだよね。ところが、学校の音楽の先生はその最初のオーダーを(1週間で)完全に僕が弾けたので転調大丈夫だろと思い込んでしまった。しかし転調が3~4週間かかっても無理だった。   なんていうか、歌で2度下げるのと、ピアノで2度下げるのと、どっちが難しいのか・・・・・・  ていうかそうじゃないんだろうか。弾きたいのに弾けないってのは。あの身体的拒否反応は弾いてる側にも解らないよね。僕の場合は家族内の要因ではなくて校内的な要因だったんだと思うけど、主人公がそこをどう乗り越えてくのか、ってのは結構気になってしまう。   桃高1年の時僕と同級生でピアノ教師の免状持ってた男子がいたけど(当時まだ男子校)、やっぱり・・・突き抜けられる所にいる子って、突き抜けさせる環境や親密な人間関係あってこそ、って気もするね。   例えば僕の場合両親とも全然ピアノ弾けないからいいんだけど、友人でピアノ弾ける子が全くいなかったので、スキル的に相談するとかそれが無いじゃん。(同じ先生に習ってる同じ団地で同級生女子ってのはいたけど、男女なので普段あまり話さない。自分より上手かった。)、そうなると完全に孤独感と疎外感の域になってしまう。誰でもそうなのかもしれないけど、やっぱ上まで行ける子は・・・先生との繋がりがもっと密だと思う。先生と週に1回しか合わない人間関係だとあそこまでは(アニメの登場人物たちのレベル)無理だと思う。   アニメ見ていても・・・親とトラブるよりましだったのかなぁ、そこは自分幸せだったかなと思う。まぁ北浦和の時のヤマハ音楽教室の1人目の先生は良かったけど(発表会も成功したし)、2人目の女先生(小学3年後半~4年)がアスペのヒステリーで、手の指が丸まって弾けてないとか言って、手をビシビシ叩く。50番くらいまで進んでたバイエルを1番からやりなおさせて半年分くらい進度が遅れたけど。結果それが取り戻せたのは高岡に引っ越した後だった。   ていうかあの北浦和のヤマハの先生は間違いなくキチガイだったんですが。実際の話、僕と小3で同じクラスだった女子達数人も同じヤマハ教室のピアノに通ってたんだけど、その先生が厳しすぎるのでことごとく彼女らの親がやめさせて。僕のクラスで残ったのは男子で精神的耐久性のある僕一人だった。   当時の僕の背丈はクラスでも低い方だから元々手も大きくないし、指の長さでもオクターブ届くかどうかだったんだよね。一杯一杯に伸ばさなきゃ届かないものを丸めて演奏なんてできるわけないじゃん?つまり身体や指の成長が、バイエルの進度に追いついてないって事。努力云々じゃないんだよね。なら50番くらいまで進んでたバイエルを戻さなければもっと先に進めてたかというと・・・あっさり進めてたと思う。   むしろその時に半年分バイエルを逆行させられた事が後のピアノ人生(中途までだが)に悪影響を与えてて、例えば中学の同級生女子(僕が上手いと書いた子)との進度差も大体半年だから(それだけ違えば、周囲の見方だって違うじゃん?優等生か普通かの差って大きい)。その子も中2で同じクラスで歌唱会では僕とは別のピアノ曲弾いてたけど、2度落とせなんて無茶ぶりはされてなかったから普通に弾けてた。(だから・・・音楽の先生にベートーベンやショパンのピアノソナタを2度下げて弾けって言っても弾ける人ほぼいないでしょ?って事だよね)   つまり先生ってのは、すんなり伸びるものをすんなり伸ばせばいいわけで、生徒の前の先生の方針を否定したり、自己顕示や自己方針のために生徒を滅茶苦茶に潰していいものでもないわけだ。その辺が解ってない音楽の先生って結構多いよね。   なんていうか自分にとってピアノは個人で弾いて楽しむもので、他人がそれを聞いて喜んだり、自分が喜ばせたり喜ばれたりするものじゃないんだよね。スキル的にどこまで上に行ったとしても。それはそういう表に開けた人間関係が子供の頃から無かったからで、だからピアニストになるならないってのは、当人がどれだけ良い人間関係を幼児期から持っているか?ってそこしか無いと思う。   長所をほめて短所を改善しあう友人のいる環境って、その後の動機になるからすごく大事なんだよ。多分ピアノ教室内に友人がいるいないだけでも違うんだろうなぁ。でももともとそういう奴って僕のいた学校にはいなかったし、自分転校ばかりでピアノ教室の人間関係も寸断されてたしなぁ。   ていうか「4月~」の主人公はいい子ではあるがまだるっこしい子で、でも各キャラ素直で純粋なので、素直に感動しながら見てます。コミック最終回までアニメ化との事なので楽しみ。 (2014_12/5 17:04-18:49)   P.S. 要は、まぁ・・・ヤマハ音楽教室はオルガン習うにはいいかもしれないが、ヤマハがバイエル20番以上のピアノを教える資格はないと思う。僕に子供が出来たとしたらオルガン以外のヤマハには通わせない。あくまであそこはとっかかりだよね。   といいつつ今の自分はピアノろくに弾けないけど。もし僕がピアノを弾いて、なんかそういうガチゴチの大人がこの世から消えて行ってくれるっていうなら、ショパンやベートーベンのピアノソナタでも必死になって弾くかもしれないけれど、まぁそんなん弾いた所で彼らが変わるとは思えないんだよね。ヤマハ自体まぁ、どうだっていい所なので、スルーでFA。

● 今ノイタミナでやってるサイコパスってつくづく誰が作っても胸糞悪いアニメだなと思う。1も結構ひどかったが、2は輪をかけてひどい。   ていうか、良心も何もない表現だなと思うんだが。僕は表現ってのには良心が無きゃいけないと思ってるし。なんだかなぁ、犬にしても主人公のおばあさんにしても、殺される描写のためにかわいく描いたり美しく描いたり、製作側の人間性を疑うよね。視聴率のためにさぁ。   人間性が主人公たちの追う敵以外に無い番組って(笑;)   敵側も結構人殺してるわけだけど。ていうかこういうアニメをDVDやBDまで買って何度も繰り返し見る連中の気が知れない。だってさ、所詮は視聴率のためにアニメを作ってるんだと思えば、こういうのって若者が何度も見て慣れてくべき表現でもないわけじゃん?まぁもっとも悪いのは、この番組の場合シビラシステムで、いわばこの世界って犯罪予備軍や狂人の脳に統治されてる世界だって事だけど。コミケや2chみたいなもんか。   つまり僕が言ってるのは、そういう狂った思考性癖に視聴者が慣れる事の方がよほど怖いって事で。   前回のタイトルも表現的に、「脳髄を懐胎したある唯物論者の花嫁」みたいでねぇ、なんだかな。悪趣味だよね。   犯罪ものを描く時に、描く側が猟奇萌えとか犯罪者萌えになったり、2chの叩き団みたいにグロテスク趣味でうほうほしたり、そっちに肩入れしちゃいかんだろ、って事なんだよね。そこは昔から自分が気をつけてる事でもあるが。このドラマの場合仮想的なシステムで物語が成り立っているわけで、悪はシビラシステムってのは明確なわけだけど。悪の社会だよね。で、主人公は悪の側にいる、と。   作品テーマが結論でしか見せられないものであるにも関わらず、結論までが長いスパンで語られる話でこういう表現を連ねるのは、要は悪趣味のお遊びでしかない。  (2014_12/5)   (P.S. 何故視聴率と言っているかと言えば、例えばサイコパスがノイタミナ枠で、仮に「4月は君の嘘」よりも後に放送されていたら、視聴率は確実に悪くなる。理由は「4月は~」を見たくて起きている人が、その時間まで起きる必要がなくなるから。    なら逆に「4月は~」を見たい人が必ずしもサイコパスを見る必要があるかというと、視聴者層が違うしサイコパスはとても設定が複雑なアニメなので、見る気が元々ないのでは?という・・・   あと、グロテスク論についてだけど・・・最近のオタクにしても腐女子にしても、何をもって醜いと見るか?ってのを自らに問う姿勢がないよな、っていう。自分昔のカメラ雑誌も時々買うんだけど、例えば70年のアサヒカメラに、ベトナムのアメリカ軍に随行している記者が撮った写真が出ていて、文字通りアメリカ軍による虐殺写真が載っている。「虐殺をするアメリカ人」と書いてあって、ボロ布のようにされたベトナム人の上半身を拾い上げて笑っているアメリカ人が写っている。「虐殺を楽しんでいる」と説明書きがあって。これは持ち上げる前と後とが、2号に渡って掲載されている。   で、今時の若者の感性なら、おそらく死体を嫌悪し忌避するでしょ?でも、(その写真において)人間をその姿にしたのは当時のアメリカ人の武器じゃん?地雷でも枯葉剤でもそうなんだろうけど、で、写真に写っている白人の肌を憎むべきでもない。笑っているアメリカ人の品性は確かに下劣に見えるが。しかし戦争を起こしているのはその個人ではなく、仮に憎まなければならないとすれば、アメリカ人の軍服をこそ憎むべきだ・・・しかし所詮服は服であり・・・・と思考を連想させるべき写真なわけだ。上半身だけでもベトナム人の死に顔は眠るようだった。)   ベトナム人もゲリラなら米軍人を殺しはしていただろうが、「虐殺」と記事であえて書かれているのは、アメリカ人の軍備の科学化学力が強大で圧倒的武力差があるからだ。だから「虐め(いじめ)殺し」。で、その武力でも、ベトナムで歴然とアメリカは敗戦した。軍事力には正義はない。   だから軍服を憎み、軍を忌避するのは、正常で、しかし自国を守ってくれていると考えるなら、葛藤があるのが普通なわけで、僕はその葛藤を捨てた連中こそを憎んでるだけだが。   でも写真ですらそれを直視して思考する事のできる人間と、それすら「面白い」と称して収集趣味に明け暮れるモンド趣味連中がいるわけで。・・・殺人犯トレカを集めたり死体写真集を集めるような連中ね。「面白ければ何でもOK」って奴ら。   ところがエンターテイメントでは所詮その場のショッキングさとキモさを連想してしまう。深夜アニメならホラーで若者を怖がらせるのが仕事ってのはあるだろうし、「踊る」の監督が携わっているから真剣さはあるのだとは思うが、1期からのレギュラーヒロインの祖母キャラをぱっと出して殺してまで、伝えなければならないメッセージを、若者にきっちり伝える事ができなければ、ノイタミナの価値は下がったって事になると思う。   で、それは伝わるか伝わらないか、なんてギャンブルや確率論であってはならない。 (12/6  4:23-35)

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