2014年12月24日水曜日
こーじアンテナ!
・・・ノーベル平和賞をマララ女史が取った。子供の教育が大事だという彼女の主張は別にいいと思った。 子供が高度教育を受けて幸せになれるかどうかは全く別の問題で、それは現代日本の30代以下の若者を見れば解るとおりなのだが、マララ女史の夢が「大統領になる事」とあの場で言ってしまった事がイスラム原理主義者に火をつけて それで武装勢力にパキスタンの生徒たちが140人殺害された。他の国でも連鎖的に大量の生徒への殺人が起きた。 人権を取り戻す事と、人の上に立つ事は違うんだよ。彼らの死に値する何をマララさんが出来るというのか。 神が人々の上にいる事と、他人の上に人がわざわざ立ち政治家として指図する事は違うんだよ。 僕はマララ女史が、「子供がいつか必ず大人になる」事を忘れているような気がしてならない。 「子供がいつか大人になる」という事を度外視した人の理想はいつかその子供たちに糾弾されると思う。
イスラム国のボコハラムによって略奪される女性や子供たちに、性奴隷より死を選ぶ人が増えてきた。 誇りは確かに大事だけど、命を捨てるに値するものかどうかはそれぞれが考えなくては、 例えば神なのにネットいじめ受けてる僕なんかは(泣笑;)、侮辱受けるたびに死ななくてはならなくなるし。 例えば彼女らが多数兵士の性奴隷になるのと、他国に買われて一人の所有物になるのと どちらが幸せかという比較論すら、今の世界は語るのを許さない。だから「性奴隷より死」と他人事で語れる。それは崇高なのだろう。で、死ねなきゃ崇高じゃないのか。・・・ていうか、人は誰しも神ではないんだから、純粋に生きたくてもそうそう生きられない、てのが宗教なんだけど。 例えば性奴隷で子供を産まされても、産まされた子供も子供でしょ。 僕はレイプされて生まれた子供に罪がないとは思わない。人に原罪があるのと同じだ。レイプされて生まれる子より、騙されて合意の上で生まれる原罪深い子だって日本には大勢いる。しかしそういう母と子供が引き離されてもそうでなくても、それぞれの幸福を求めるのが人生であり それがいつか正しさに結び付くか付かないかを傍から決め込んで、大宗教戦争にするべきでも無い。(2014_12/24 15:17)
◎ 今日は天皇陛下のお誕生日です。パチパチパチパチパチ・・・
81歳までご公務、お疲れ様でした・・・ってまだ早いのだろうか?お元気な事でみんなも元気になれるので・・・
我が家の両親にも元気でいてもらえればなぁと思う昨今。
ていうか明日はクリスマスイブ兼、僕の誕生日だ!!しょんぼりこ(^^);
(仮面ライダードライブの泊巡査も12/24誕生日で忘年会パーティーまで一緒にされてた。ですよね~・・・)
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