● ・・・成田亨美術教室をやめた時の理由は確かにこれまで書いた下の方で通りなんだけど、あんまり2ちゃんなどで酷い言い方をされてるので、もう少し補記。
ただ、前から言われていた先輩生徒たちのやる気の無さについて先生が電話をかけてきた時に、「ヌードデッサンをする予定なんだが、半分の生徒が参加したがらなくなって一人あたりの代金がかさむことになった」って発言があった時、自分の思考回路としては、先生が僕の仕事に役に立つようにという意味も含めてヌードデッサンをしようとしてくれた事は解ってたけど、例の軋轢の主犯格のS氏(鬼の作業では計算とか運搬はしてたが、実作業数ヶ月にはほぼ関与してない人)はやはり参加するというし、入ってきたばかりのニヤニヤした生徒もやるというらしかったので・・・つまり結局軋轢は消えない。
本当の本当の事を書けば・・・その時成田先生は(日野先輩生徒らのやる気がなくなってきてたの解ってたから)「やる気のない生徒をふるいにかけて、残った生徒だけに教えたい」って言った。「ふるいにかけたい」って。・・・これは実はその前年の渋谷移動の話当時の個人的会話から言われてた。あと「本格的な美術教室にしたい」と。
・・・でも僕が鬼手伝いしてた間に日野で僕に続く日数手伝ってくれてたのは先に僕に「森本さんつぶされちゃいますよ・・・」って悲痛にやめたI橋君と、その次がY氏とかW氏だったんだけど・・・でも来ない表明してたのはY氏やW氏だって言うんですよ。僕的には、ふるいにかける基準がずれてる・・・っていうか僕は穏健に行きたかっただけで。酷すぎな事はS氏らにされてたけどさぁ・・・と。
で、瞬間的に自分がキツイと思ったのは、そのヌードデッサンをやるとすると、成田先生は不参加表明の生徒分の月謝をもらえなくなるかもしれない。自分の立場としてはそれがきつい。そういう「ふるいにかけたい」って言葉を僕が真に受けたら、本当に「ふるいにかかっちゃう」わけじゃん?先輩たちが。休憩どころか戻ってこなくなるかもしれない。それを(明確に)僕に今決めろ、と。参加者数が少なければやめざるを得ないと先生は言ったんだけど・・・だから、参加を、やめ「ざるを得なかった」。それがその場の会話での真相です。だから本当の事をいえば、僕じゃなくて先輩たちに成田先生が若干キレかけてて、でも僕は比較的N間先輩(日野リーダー)らの友情ってのも理解はしてたから。
ややこしい、本当にメチャクチャややこしかった。その責任丸投げされたようで本当話聞きながら沈黙して頭フル回転するしかなかった。
グラフィッカーの締め切り間際がきつかったってのもありました。あと、前の女性の着衣デッサンの時にモデルさんは多摩美大の生徒さんだったんだけど、「私的に書かせてくれ」って彼らがくどきかけたりもしたので、そういうのをまた見るのもきついかなと思った。だから軋轢や家庭の事情は当たり前の事として「専門学校と同じ2年経ったし・・・」って事で、やめたんだよね。まぁ普通じゃない時間、鬼彫刻では先生と頑張ったんだから、満足だった。人体デッサンについては、二人で鬼作業やってる時に聞けたりもしたし。
だから弟子と今後名乗るなみたいな事は一切言われてないです。大体CG画の描きすぎで目が疲れすぎて不慣れ状態、ってのもあったので・・・「やる気があるか」って言われてもその時僕としては一番頑張ってたわけだから。
で、ここからは始めて書くけど後日。2~3週間経って日曜の朝方、先生の教室に始めて行った日に木材で作ったイーゼルをもらいに行ったわけ。で、先生とはその時は話さなかったんだけど(まぁ後に電車で話したりもするわけだが)。で、僕を追い出した側の先輩らは何の悪意もなかったかのようにしらっと僕と応対してたんだけど「ヌードデッサンはやめる事になった」としらーっと・・・(笑)。まぁ、成田先生は生徒減らずに良かったわけです。だってそのまま休むと言った人たちが戻ってこなかったらさ・・・僕のせいでヌードデッサンした責任だって言われても、負えないから僕は・・・。
まぁその時僕はCG会社は試用期間のみでやめる事になった(まぁ、色々と酷い(特に経営側が)会社だったがそれは言わなかった)事を伝えた。その時始めて何人かの先輩生徒らがバツの悪そうな顔を見せた。僕はそれで成田亨美術教室をやめた感じ、だったです。 (2016_2/8 8:22~54)
※ つまり成田先生的には、その日野教室をふるいにかける事自体を僕の一存でふるいにかけさせてもいい位に思ってたし、その位は信用されてたんだけど、僕的にはそれはいくらなんでも・・・しかもその選択法が・・・;って事だった。
そりゃ僕だって結構あの時は鬼手伝いも含めて誠実にひたむきに頑張ってたし、僕の作った彫刻だの各作業を見てたから先生もそう思ったんだとは思う。ただ、先生は彫刻家だから、やっぱりヌードデッサンは基本だと思うだろうし、つまり先生にとっての本格的な美術教室ってのは裸体から本当の彫刻を作る彫刻家も育てられる美術教室って意味だった。それまでの授業は石膏頭部も胴体も植物もモデルの着衣もトルソー彫刻化もしたし、新宿御苑に写生にも行き、上野の二科展や箱根の彫刻の森にも行き、CMセットの手伝いも個展の手伝いもしたわけだから、そういう意味ではちゃんと本格的にやっていたしちゃんと学べた。それまで木炭やパステルは使った事なかったし。木炭消しの安い食パンをむかいのコンビニに買いに行ったりね・・・(で、先輩らだってそういう授業は全部受けてたわけだから、さ・・・)
で、僕は先生の言う「ふるい」を先輩らに対してするって言葉を拒否したわけで・・・まぁ、甘いと思われただろうなぁ。でも当時はそういうのできる性格じゃ無かった。だから後悔なんか全然ないです。「先輩らをやめさせてでも僕が残ればよかった~」とか思う奴って、イヤな奴じゃん。プロには向かないけど。 (2016_2/8 19:04)
○ ていうか秋山莉奈嬢がアギト終了後からバカどもに変な注目されて、その内オシリーナなんて売り出し方するような事になっちゃって、でも「電王」で平成ライダー再出演した時にナオミのコスチュームデザインしたのも韮澤氏で、あれでまた秋山嬢はヒロイン的扱いになるようになったんだよなぁ・・・4タロスの中にならんでると秋山嬢ライダーヒロインであると同時に韮澤ヒロインもしてたんだよなぁ・・・韮澤コスチュームの功績大きいよ・・・・・・ (2016_2/7 21:57)
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