2015年6月23日火曜日

こーじアンテナ!



 ● ていうか、下の石原裕次郎全身像の更新も、google内Blogger(blogspot.jp)の偽ブログ群(詳細)にコピーされてしまってるわけだけど、
  偽ブログがエントリーの本文のURL画像が引用不可にされてる形跡があり、それでも頑固にblogspotの中のサーバーに画像を無断転載されてるわけじゃん?つまり、既に彼らなりすまし偽ブログは、画像のURLによる無断引用を拒否られてるわけでしょ?システムにかスタッフにか知らないけど。
  そういう結果が出るには人為的な拒否があるはずなわけで、それでも無断転載を続けてる悪質な彼ら叩き連中ってのは、まじで悪の確信犯だなぁと思う。
  て事で、多少読みづらくても今後もこのhttp://www.geocities.jp/lecto_000/を読み続けてもらえれば幸いです。
  各エントリータイトルで異常な思考誘導をしている偽ブログよりも、よっぽど読者が考えられる余裕のあるサイトになってると思うので。

●   ナチスは宣伝テクニックを国民洗脳と扇動に使っていたけれど、悪の宣伝(や悪のジャーナリズム)テクニックにとって重要なのは「解りやすい」「主張が簡単極まる」事なんだよね。
   解りやすい扇動主張は、ナチス的だって事。それはナチスグッズの大量販売を直営店でずっとしていたコミケ系列も同じ。
  彼らは「表現の自由」を延々言い続けてるから同人作家を味方につけてるわけだが、実は彼らは自主検閲をしたり私的理由で気に入らない作家を参加サークルから選考時点で削除しているわけで、基本的にコミケは表現者(特にオリジナル系作家)の敵なわけです。
  だって各オリジナル系の表現者が自分の作品を世に出したい、しかし出版社を通して出すのが難しい、だから同人誌を作る、ってのは、明治大正の頃から小説家の人々はしてきたわけで、漫画同人誌もコミケの存在しないトキワ荘や超人ロック(1967頃)の時代からあったわけで。
  だから同人誌なんて別に即売会関係なく、勝手に各自で作って勝手に売っていいんだけど、そこに要するに「KY」だなんだっていう「空気」などを持ち込んで、要はペンネーム作家に対する個人情報収集や、悪質な統制支配をやらかそうとしているのは、つまりコミケの「常に作家達に対して偉そうにしていたい」という支配欲の表出。国民総背番号制に近い事をペンネーム作家に対してやっている。彼らの多くは自宅住所を申し込み書に書くどころか自身の好きなサークル作家まで書いている。申し込み書の異常な細かさはいわば口答えできないようにする念書と一緒。そしてイベント横つながりの連絡会まで作る。
  だからスタッフ達があそこまで横暴するわけ。別にコミケは表現者を守る気なんて元々ないわけです。支配欲があるだけ。
  だって多分他に若者が作った自主イベントが変なトラブルで警察や地元の役場などとかち当たったって、コミケのルールと違う事やってたら、若者達を別にコミケは助けないわけだし。そういう機関じゃなく、あくまでコミケはただの有限会社ですから。でもコミケのルールなんてせいぜい猟奇や汚物や障碍者差別(ラムやセラムンやプリキュアの身体を切り刻むようなエロ)の18禁同人誌は販売オールOKって程度でしかないわけで、何も正しくはない。彼ら自身がコミケ公式HPの中で「表現の自由を標榜する悪の秘密結社」だと書いてるし。
  ていうか元々昔から、写真系の若手や美術系の若手は、二次創作’&やおいやエロ同人誌系のコミケ側連中が劣等感を感じているメインカルチャー側です。美術や写真はメインカルチャーなんだよね。だから、コミケ会場では彼らはずっとスポイルされて迫害されてきた。コミケカタログのルールを読み直せば解るけど、あの辺のルールってのは要するに美術系と写真系に対してずっと続いてきた彼らの弾圧感情の発露だったりするわけです。過去のカタログをよく読んできた人なら解る。
  (簡単に言えば、僕は彼らの作品について優れていても劣っていても妥当に評論できるけど、僕の作品とかこのホームページとかを例の悪質なコミケ側の連中は評論どころかまともに理解できてないわけで、つまりそれは僕より彼らが極端に劣っているからです。
   だって必死になって悪口書いてる結果があの偽ブログエントリー群の捏造タイトルとか、2ちゃんの叩きスレッドだから、もうそういう理解力はコミケ側の連中にははなから無い。何でそういう能力が彼らにないかと言えば、常にコミケ側悪質連中の頭の中には余計なドグマが渦巻いているから、ナチュラルに物事を考えられない。これはまぁ一部警察も似たようなもんなんだけど。)
  ・・・にも関わらずベネチアビエンナーレなどであそこが特集やったのは、つまりコミケ側には美術系に対する支配欲もあるからで。つまりコミケってのは、各スタッフが現代美術に対して専門外で門外漢であるにも関わらず、近年では美術文化や写真文化の倫理基準を支配しようとまでしてるわけで。僕は逆にあくまでその件については中立を貫いてる。
  一応これでも僕は「創作系オールラウンダー」なんで。
  あと、ナチス的な扇動をする連中ってのは、例のコミケの悪質スタッフ連中のように「実名で堂々と嘘を言ったり」します。堂々と言われる言葉や活字の言葉の方を、人は愚かにも信じる。まぁそれは例の朝日新聞名古屋の誤報も同じだったわけだけど。世の中ってどんどん歪んでくよなと思う。  (2015_6/23 2:00~2:17)

  P.S. まぁそうは言っても美術作家の方々同士にも軋轢はあるみたいなんでこればっかりはなぁ、って感じ。某イベントで出展してた某作家さんから聞いた愚痴が誰のことかと思ったら僕の知ってる作家さんだー、みたいな。世界狭すぎるよorz
  でもまぁ僕は中立スタンスでいたいけど。ドール系作家の知人さんからも聞いたけど、僕が「某ドール系のファンばかりで集まって、コレクションの総合展とかできればいいですねー」と言ったら、「結局の所自分のコレクター活動が大事な人ばかりだから仲良くできないと思う」と言われてしまって僕はしゅーんとなってしまった。
  でも一般論としてそんな微細な所で対立してると、美術系も写真系もドール系も、結局コミケ系のゴロ連中に足元すくわれそうな気がするので、僕はものすごくそこを危惧している。各ジャンルの為に。
  (事実ドール系は以前アブノーマルカーニバルの悪質スタッフに目を付けられていた(今でもか?))  (2015_6/23 2:30~3:39)

 P.S.2 僕が「タマゴちゃん」(http://www.angelfire.com/planet/nectaful/tamago.html 無料広告で変なポップアップ増えてきて困る)みたいな漫画を小学生(1970年代)の頃弟達や高岡市の小学校のクラスメイト向けに書いてたのは、要するに、僕が当時住んでた高岡市が藤子不二雄氏お二人の故郷で、藤子先生が小学生の頃「少太陽」という自作雑誌同人誌(二人誌)を作っていたからで、高岡市は当時から漫画に理解のある市だったとか、友達から「まんが道」などを借りて読んでたとか(小学5~6年でもエスパー魔美とか石森版多羅尾伴内とか鉄面探偵ゲンとかはだしのゲンとかみんなで読んでたし)が理由で、
  つまり僕にとっての同人誌ってのはコミケとか抜きで、地元出身の藤子不二雄先生やトキワ荘漫画家たちが同人誌を描いてたってのが起点になってる。あとは超人ロックとかが同人誌発漫画だってのは70年代の新聞広告で知ってた位。シガレットチョコとか描いてたのもコミケ行く前の漫研部誌だしね。その時点でほぼ自分の漫画やキャラデザの方向性って決まってるので(あとは成田教室で方向性の確認をしたというか・・・)、正直コミケとかどうでもいいじゃん?って。
  でも現実的にはコミケの(元込みの)スタッフ連中ってあちこちのイベントを悪質に食い潰しているんで、まぁ言ってみれば駄目イベントと駄目会場が拡充した所でどうにもならんだろ感なんだが。 (6/23 4:04)

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