2015年6月13日土曜日

こーじアンテナ!



 ○ ドラえもんの声の大山のぶ代さんのメッセージが徹子の部屋で流れて、黒柳さんが涙していた。
  誰にとっても他人事ではなく、だからやっぱり声がしっかり聞けた事は嬉しかったし、
  徹子さんも大山のぶ代さんもいわゆる昭和テレビアニメや人形劇の頃から活躍していた方だから、
  (たとえば徹子さんはサンダーバードだったり大山さんは国松さまのお通りだい、だったり)
  そういう意味での盟友に近い関係の人にちゃんと声が届く、それがテレビって。色々思った。
  ドラえもんの声は最初日テレ系で放送された時は富田耕生氏と野沢雅子さんで、僕はマジンガーZとザッピングで見てたけど、
  大山さんの声でテレ朝でドラえもんが帯アニメとして開始したとき、僕の引越し先の富山ではドラは放送してなくて。
  (厳密にはしてたんだけど、その局(毎日放送系)はUHF的アンテナを立てないと視聴できないので、
  それまでは砂嵐の中で声だけ大山さんの声を聞きつつドラえもんを「聞いてた」のだった)
  やっと大阪に引っ越した時に、やっとドラのアニメが 見れて 嬉しかった。
  大阪のアニメ好きの女の子らとドラの話ばかりしてた。小学6年の3学期は短かったけど、
  その1~3月(映画「のび太の恐竜」のムーブメントの頃)で、僕は随分ニヒリズムから救われたと思う。
  翌年の「のび太の宇宙開拓史」辺りまでの子供達のドラ熱は異常で、特にコロコロで何百ページとか
  ドラの漫画が載るなんてザラで、でも僕はもう小学6~中1くらいだったわけなので、
  ドラブームに相乗りしながら漫画を見るにも半分弟世代の相乗りみたいな感じでした。
  ドラえもんには本当にみんなみんな面倒をみてもらってるし、これからもドラえもんはみんなの心の面倒を見ていくと思う。
  だから大山さんが今、そういう感じになってるとしても、ねぇ?!
  本当は、ダンガンロンパのモノクマがラストって自分としては・・・と思ってるんだけど、
  大山さんも若い声優たちと一緒にアニメの演技をしたい!!って気持ちがあったんだろうし、
  その達成感が大山さんにあったことを僕なんかは祈るしかない。今すごくいいお薬も開発されてるみたいだし、
  希望を持ちながら、大山さんの日々の幸せを祈るとか・・・うん。
  ていうか、みんなファンレター送ろうにも、何について書いたらいいのか判らないくらいドラえもんの話数を見てきてるわけで・・・ねえ??!!(2015_6/12 23:32)

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