2016年3月26日土曜日

こーじアンテナ!

◎   僕自身は今、宇宙人とか宇宙ロボットとかそういうのをデザインするか人形をとりあえず終盤追い込み製作中という感じで、
  少女モチーフのヌードとかそういう方向に行ってないんだけど・・・。でもさ、今ノってる製作作業が宇宙人とかロボットだからって、
  だったら女の子のヌードなんて描かなきゃいいじゃん、とは、勝手に他人に決められたくないんだよな・・・・・・。そういう事じゃないんだよ。(2016_3/26 5:31)


● 【速報2】CG児童ポルノ裁判に懲役1年・罰金30万円判決! 児童ポルノ認定はCG34枚中3枚だけ、一冊は丸ごと無罪l
  CG児童ポルノ裁判記者会見 堂々と不当判決を批判する被告に、今後の創作活動も聞いた   一応上はおたぼるへのリンク。他に各新聞やネットニュースなどが報じてます。
  本当は美術系日記にUPすべき文なんですが、あとでまとめてから移動予定。

  ・・・まぁ無罪か有罪かで言えば、前からの僕の僕の論点通り、有罪という感じだったわけだが。
  まぁ弁護士が過去に僕をいたぶって面白がってたような奴だしなぁ。こうなるだろ
  ただ、無罪を主張して減刑させたというのであれば、この状況でも全然・・・なんだけど、
  被告と弁護人らは即時控訴したらしい。今回の問題の論点が全くおさらい出来てない内に。何だかな・・・
  ただ今回の判決については、結構僕的には参考になる点もあったのでそこをまず書く。

  重要なのは、今回の判決でのCG画像について、児童ポルノと見なされたものは、
  全体の34枚中3枚だったという事だ。これは裁判員の方々と裁判官の意見であり、かなり重要な点だ。「1作目のCG集はまるごと児童ポルノではない」と判断されたそうだ。
  「写真のようにリアルな少女のヌード絵」であっても、そこまでは許容されたというのは、昔と比べても、美術や芸術への意識というものが一般市民にもまだちゃんとあるという事かもしれない。
  それら34枚には多分バストトップなどが描かれていたものもあるだろうし、下半身を線で簡単に描いたものもあるかもしれない。が、残り3枚が卑猥だったって事だろう。
  つまりとりあえずは、少女を描いた絵であってもそこまでは児童ポルノでは無いとして、
  芸術・・・うーん・・・というか、職人的「技術性」が認められたって事だと思う。
  つまり僕がたまに描く少女ヌード絵なんてまるまる児童ポルノでは無いって事になるので、少し安心した。
  あと、検察側のバストが小さいヌードは児童をモデルにしたもの、という定見を今回弁護側が微乳画像を見せて検察に鑑定させた結果、児童のものと検察側医師が鑑定したが、実はAAかAカップのAV女優の胸だという事が判明して、一本取ったのは、多少大事な点かもしれないかなと思った。

  ・・・でも、僕は今回の判決は当然かもしれないとも思っていて、それは結局「実在人物を無断でモデルにしているのに、非実在人物であり無罪というわけにはいかない」という裁判官と裁判員側の意見に尽きる。
  モデル少女に無断でその写真集をスキャンからデジタル加工したのかと疑われるレベルの作品を作って、
  それをCG集にして不特定多数に販売してしまった、って事は、やっぱり・・・。
  過去の清岡写真集についての裁判理由に「延々と書店で販売され続けるのが辛い」という、
  モデル少女側の意図が含まれていた、ってのは大きい。前にも書いたけれど、ポルノというのは商業作品を言う。
やっぱりモデルが誰かが完全に判るような作品の売り方をしながら、被害者が存在しないとは言い切れない。もっと似ていない作品なら「被害者が架空」ともいえたのかもしれないが、あれじゃカラー写真まんまにしか見えないしなぁ・・・
  また、商業の為に拡大再生産されず、不特定じゃなく特定人物に売られるだけなら、
まだ芸術写真や美術写真と判断される可能性があったんじゃないか・・・
  僕は清岡作品は、元は芸術写真なのが拡大再生産されて、商業ヌードにされてしまったものだと思っている。
  僕は清岡作品は芸術写真だし、そのモデルも美術モデルだとして認識してるんだけど、
  今回の画家が、エロ同人マニアのアダルト層のニーズに対して、アダルト作品としてCG集を売った、って時点で、僕は「この作品は普通の美術作品の売り方路線とは違ってるな」と思った。
  アダルトじゃなく一般作品って事ならまだマシだったと思うんだよ・・・本当に。

  ただ、今回の検察についてもかなり疑問があるのは、「児童ポルノをモデルにしたから児童ポルノ」という論旨で、(そもそも清岡作品を児童ポルノと見なすのは、作品からではなく過去判決が原因なのだが)
  それは絶対に違うと僕なんかは思う。ポルノからの模写をベースにしても、芸術作品は作れるからだ。
  例えばロダンの「接吻」なんかは僕もすごくいい作品だと思うけど、ああいうのは実際に彼女がいない人の場合、いまやポルノでも見ないと作れない。そういう作品の参考に出来るポーズをデッサンモデルさんに取ってもらうのも大変だろうし。いわゆるレディコミのラブシーンでも難しいかもしれない。そういう方向は大人向けなのかもしれないが。
  ・・・結局作品の結果が美術になるかポルノになるかは描く側の姿勢というか意識の高い低いによって決まるわけで。でもその辺は、今回の画家の作品についても
  裁判員の人々が「児童ポルノは34枚中3枚だけ」という判断をしてくれている。
  つまり裁判員側は、検察の「全て児童ポルノ」という判断には乗らなかったわけで、
  そこについては、全然僕は良い判決だったじゃないかと思っています。

  大問題はこの判決で被告と弁護士が全く満足しておらず、更に控訴をしてしまった事で、
  今後、この比較的軽い判決が、いきなり「重罰化」される可能性もある・・・うー・・・
そうなると、比較的僕のような絵も造形もする美術教室出の作り手は、結構苦しい事になっていくかもしれない・・・。

  しかしこの画家さんは「こういう作品はもう描かない」みたいな事を言ってるんだよな・・・やりたいだけやっといて・・・それは違うんじゃないかな・・・
  ・・・僕的には、美術ってのは美しいものを描くもので、探求する事で製作し続けられるものだし、例えば少年期の自分がきれいだとか美しいと思った人やモノや景色って大人になってもそうそう変わらない。
  きれいだとか美しいと思ったものをそのように表現し描いたり造れるなら、海外並の表現もちゃんと美術として認識すべきだというのが本来の僕のスタンスだけど。それでいいじゃん。描いても作ってもいいじゃん。
  ただそれを世に問うとか金銭にするとか、そういう時には、・・・気持ちの問題が大事だと思うんだよね。結局そこが大事なんだなと改めて思った。元の写真家さんやモデルへの気持ちや誠意が足らないと、「被害者」が生まれる事になり、「被害者がいない」が通用せず「非実在児童である」も成立しない事になっちゃうんじゃないだろうか。今回、画家と弁護側について大騒ぎしていたエロ同人CGオタクたちは、その辺が解っていたんだろうか。   (2016_3/26 5:15)

  ※ なぜロダン?と思うかもしれないが、一応僕が成田氏の元弟子って事はロダンの玄孫弟子にあたるわけで。彫刻全然できてないけどな・・・僕の作風でそこまで辿り着くのは大変だよ・・・。
   ていうか成田氏のウルトラマン初稿を、以前僕が作った彫刻フィギュア(粘土製)にも、多分若干ロダンの雰囲気は入ってるのかもしれないので、当時も意識はしてたのかもしれないんだ・・・。今はなんかやっぱりロダンと清水多嘉志氏の作品を考えてしまう。球体関節人形にロダン反映させるといきなりどぎつくなるのでそこは避けたいがー(14:46)


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