2015年10月11日日曜日

こーじアンテナ!

※※ ていうか、Windows LiveのNectafulブログを閉鎖する前頃、僕の研究している名前の意味的に「マナ」(南洋の超自然の力)と関係ある子(※血縁的な意味では無く生まれ変わり的な意)が、次々と殺人事件で殺された件で、そんな事してたら大地震とか台風とか起きるんじゃないか、と書いた記憶があるんだが(2008年春頃)。
  いや、名前の意味云々を、いわゆる人類が理解できないにしても、そもそも最近の日本人は南洋の自然に対する畏敬の念を失い、南洋の人々を馬鹿にしてるんじゃないか?・・・と僕は思う。
  ていうか南洋の(ポリネシアとかメラネシアとか)人々は、自然と共に生きてきた。子供は裸だし、大人も半裸で生きてきたし。それは健やかで、自然な人間的な生き方だ。文明時代においては原初ではないけれど自然な人間愛のあり方だって事だ。
  でも今の日本は、公演や電車内でどこかのママが子供に授乳したりおむつ代えただけでわいせつだとか不品行だとか悪質に糾弾するし、少年少女のヌード写真がでまわるとか赤ん坊の全裸が出ただけで、児童ポルノだとか言い張る狂ったアスペルガー社会で。その文明的な不信をお互い抱きあう社会のひずみの狂人達に、彼女らは殺されたと、そういう風に僕は見ている。
  日本は社会全体が(大して人間性がありもしないのに)文明病の害毒に染まって精神分裂社会になってる。そしてそんな日本人の集団社会が、化石エネルギーを過剰使用して空気を汚しまくって温暖化させ人類どころか植物界を含めた生物全部を危険時代に導いている・・・のだが、その日本が近代ライフスタイルそのものを南国に輸出してる。原子力発電所までついでにだ。自ら捨てなきゃならないものを南国に送ろうとしている。
  ここまでの僕の全般的な意見をまとめれば、「(犯罪者たちをも含めて)日本」は、そういう南洋の自然神たちが認めるような、暖かさや、優しさや、正直さや、素直さを、裏切り続けてきているのではないのか?って事だ。
  つまり、マナ(南洋の超自然の力)は、そんな日本の近代的かつ矛盾したイデオロギーによって、南国までが自然破壊され精神汚染されるのを許さない。南洋の自然の魂が許せるのは基本的には南洋の人々の生き方だからだ。日本が南洋的な生き方にそうそう戻れないとしても、そういう「より裸に近い生き方」をこの国が否定している以上(少女ヌード写真批判や18歳前の恋愛への批判 ってのは、要はそういう文明社会の傲慢だ(逆にそれらをあげつらい弄ぶようなのも)。清岡さんも南国の娘を撮影していた)・・・・南洋からの自然災害は今後もどんどん続くだろう。
  人としては僕はそういう災害を「悲しい」と思うが、神としては(自分が被害にあわない範囲においては)「仕方がない」と思う。因果応報だからだ。
  南洋の人々が体現する自然な生き方のようなものを、この国が(国内で)否定する事は、多分それほどに罪深い。自分が災害被害にあったらそうも言ってられないのだろうが。 (2015_10/11 5:29)
  要は僕らがアートというかArtificial(人工的)な生き方なり表現と関わり続けなければ生きていけないとしても、そういう自然体な生き方なり何なりを、ないがしろにしたり馬鹿にしちゃいけない、ってのは、心がけてくべきだと、そこは人間としてそう思う。(6:11)

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