● 90年代にイベント写真撮らせてもらったり、少し知人のコスプレイヤーだった某漫画家さんがなくなって、しばらく呆然としていた。結構同人系でもコスイベ系でも、正義感の強い僕はギスギスしてたんだけど、ほっこりした感じの方で、漫画読んでてもとても優しさが表現されてる人だと思った。自分にとってはたまに会うとほっとできる顔見知りのレイヤーさんでした。
まぁ僕は結構悪質スタッフなどに色々スポイルされてたので、最後までイベントの日常どおりの僕を僕として、そのレイヤーさんが認識してくれてたか、ってのは、僕はイベント行かなくなったし解らないけれど、こっちはそのレイヤーさんの同人活動やレイヤー活動を、そのまま普通に認識していたつもりだし。だからやっぱりショックはショックです。
それでも追悼文など書きたくても、さすがに偽ブログ(blogspot.jpとgoogle+等)の多い状況では何を書いても偽ブログに中傷的タイトルを付けられたりするので、こんな書き方が今は最適というか限界だろうと思う。
ていうか、以前の彼女のコスプレは本当に良く出来てたよ。縫製とかにも性格って出るよね。丁寧でやっぱり意外と家庭的なレイヤーさんなんだなぁ・・・とは思ってた。
でも、結婚もして、お子さんも育って、夫婦で同じ仕事も出来て、同じテーマを持って作品を作れて・・・幸せだっただろうなぁ、それは絶対に救いだよな、と。
(そういうカップルの未来は僕も読まないことにしてきたし(いや名前の意味研究とかそこまで無差別にしていない)。だって幸せを幸せとして享受すべきカップルにまで、その幸せを疑わせる事を言うなら、それはカルトじゃん。(享受すべきでないカップルになら言うかもしれないが))
・・・以前自分の幼稚園の頃の友人が若くして娘さんを残して死んだ時も思ったけど、それぞれに、これが正しいという幸せを手に入れて、それを周囲のみんなが確かに幸せだと思って、その中で人生を送れたなら、それは素晴らしい事なんじゃないかと思った。
素晴らしい事をして去って行った人を、そういう人とし忌憚無く送る事は僕も大事と思う。(よほどのエマージェンシーな例外ケースでもない限り)
僕の場合、慎もうにもそこをなぶりものにされる日々なので慎みようがない。以前成田先生が亡くなった時もそうだった。それに、僕は彼ら彼女らのような、そういうカップルになれそうな相手との仲も壊され続けてきたので、僕は彼ら彼女らのように優しくなれない。
けれど、でも僕が日々謹んでいようがいるまいが・・・・僕はご冥福をお祈りします。ご遺族に今後も生きる力を。 (自分もね、絶対に生きていこうと。 2015_10/29 4:02)
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