2015年5月29日金曜日

こーじアンテナ!



 ● 今井雅之氏が多くの芸能人や俳優さんと同じ所に行きました。
  ていうか、これからそこに慣れて行くのだと思います。多くの方々が今井氏を出迎えています。
  と、断定口調で想像した方が、絶対感が強まると思う。
  愛川さんも地井さんも児玉さんもみんな今井氏を出迎えてるよ。うん。
  肉親の方々と会いたいってのもあるのかもしれないけど。
  熱い人だと思う。その熱はあっちに行ってもそうそう変わる事などないだろうし
  あっちに彼の続きがあるならそうそう人生に後悔したりはしないんじゃないか、とも思う。
  彼の言説が鋭いのは、よりクレバーに言わないと相手に通じないという思いもあるんだろうし、舞台「Winds of God」での反戦主張は、無考えに身を滅ぼす勇気を否定していた。
(名前の意味的にも・・・・'I must say you keener'だったり '勇気?いまいましい' だったり・・・)、つまり、・・・僕には説明は難しいが、彼は本当に自分自身を貫いて生きて見せてくれた、って事だと思う。バラダンでもそうだったと思う。
  蛮勇や偽勇に対して真に怒る今井氏が、もっとも嫌いかねない今の政府(他人である自衛隊員たちの生命や人生を何と考えているのか?義勇を義勇たらしめるに最も大事なものが政治家には欠けてるんじゃないのか?他人の人生を苦しめるどころか終わらせる可能性をいきなりもたらす決断を何と考えているのか?)や・・・憲法9条軽視の風潮は・・・・・・今井氏もそうだけど、愛川氏も大勢の向こうの人たちも、今の政治に対して嘆き絶望しているのでないかと思う。何のための努力だったか、って。
  本日までのこの国は、病気に苦しんだ愛川氏や今井氏の苦しみを更に重くする国でしか無いって事じゃないか。国会議員もそういう議員を選ぶ国も、各省庁の偏視的キャリアを育成したこの国の教育も。
  けれど、今井氏は戦った。愛川さんもこの国の政治に逆走する生き方をし続けた。
  だから、ゆっくりあっちで、この世を見ていて欲しいと思う。ゆっくりくつろいで、カウチボテトでもしながら。
  今井氏がなくなられた後、戦士を亡くしたという言葉を思うよ。
  謹んでご冥福をお祈りします。  (2015_5/29 2:58)
  (僕は僕を生きなきゃならないので、そう長く謹んでもいられないけれど・・・)


  ※ ・・・あぁ、でも。
  「いまいませ、勇気」でもあるんだろうか?勇気というものはいまいましい程のものでなければならないんだろうか?・・・「勇気?いまいましい!」であるのと同時に、それほどでなければ意味を持ち得ないのだろうか?・・・僕の勇気が、勇気無き人々には意味を持ち得ないように。
  そして、「今、忌めし愛、勇気」でもあったんだろう。彼は、そういう人生であり・・・ライフワークの「The Winds of God」も、そういう物語だった。あぁ・・・。
  彼の人生観そのものを表現した舞台をライフワークにして、テレビのバラエティにも必要とされ、一本主張が通る生き方は、素晴らしい人生を生んだんだと、思いたい。
  彼が幸福だったと感じてくれていれば、多くの人々が安らげると思う。
  それにしても、彼の人生と主張が、政治家達や省庁に残した課題を、彼らはクリアできるのだろうか???  (って、それは人事(ひとごと)だ、本当に・・・。  2015_5/30 4:02)

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