2016年1月17日日曜日

こーじアンテナ!

● 軽井沢のバス事故問題も、もっと何も書きようがないというか、尾木ママには倒れないで欲しいと思っているんだが・・・今まだ生きている事故被害者の命の火をひとつひとつ守ってる人々の事を思うと、「再発防止」とかそういう段階ではないと言いたくなる。事故原因は公正に見なきゃいけないわけじゃん?自発的原因や居眠りや不注意でなったのか、路面凍結やタイヤ面の凍結でそうなったのか、全く別の理由で他の車に煽られでもしたのかなど、何も解っていない内は、今まだ生きている被害者が死なないって事が最優先って気がする。医療現場や現場検証はクレバーじゃなきゃならないが、報道見ている側のクレバーは、ただ冷静であることだ。(1/17 14:55)


● SMAP解散問題、独立自体は何年か前から言われていた噂ではあるし、解散と言われてもメンバーみんな大人だから・・・卒業と思えばそれほど驚きはしない。ファンが「世界にひとつだけの花」CDを購入する運動が届けばいいなとも思うし、それぞれ、より一層活躍できればそれがベストとも思うし、みんな個別に俳優(テレビ・映画・舞台)をしながらバラエティコメディーもする先駆者でもあった稀有なグループなので、大事にして欲しいとも思うし、当然の成長の結果かもしれないとも思うし。( 2016_1/17 14:48)



◎  映画「Foujita」見てきました。あまりにも二極化されて抽象化された時代展開にびっくりしたけれど、けして雑な物語ではなく、一人の画家の作家的極点を2時代に絞って、小栗監督風に映画を作った、という感じだった。
   僕的には前半のパリ編パートが懐かしくて暖かい物語に見えて、日本に帰国してからの物語はなんというか全てが日本との最後の別れ、長い別れの為の時間に思えた(こないだ展覧会で見たフジタの作った日本紹介映画の目指した情景?)。・・・多分そう思いながら見るのが健常だろう。
   この映画でのオダギリジョーは確かに俳優として何か抜きん出たものがあって、確かに藤田嗣治だったと思う。(だってフジタの自画像が写ってて、脇にオダジョーの顔があるのに違和感感じないんだから!!)
  この映画の流れとしては、色々な重層的な物語があるわけだけど、この映画では実はあんまりフジタの絵画って出てこなくて、まぁフジタに対する視点的にはやっぱりポーラやブンカムラというより、絵画を貸してた国立近代美術館のキュレーター視点に属する視線だったので、僕はうーむ・・・と疑問視する点も多々あったんだけど。でも映像そのものが・・・なんていうか、藤田の残した日本の情景映画的、というか・・・パリの風景も、昔木村伊兵衛がカラーで撮影した50年代パリを彷彿とさせるというか(更に30年近く昔のパリなのだが再現されてた)、そういう所からフジタを導出しようとしてて、その中心にオダジョーの名演が見事に光ってたと思う。
   なんというか、フジタが再びパリに渡ってカトリックに改宗しているなどのいわゆる経緯は、この映画からは全くもって欠落(しかもその欠落が半端なく多い!!)しているので、それらを知ってる人なら流れを理解できるんだけど、そうでないと見るのが難しい点はあるのかもしれない・・・と僕は思った。でも、実はそんなの知らなくとも作品の展開でフジタの内心を推し量る事は出来る映画・・・なのかもしれない。
  この映画のキャッチコピーは「あなたはフジタを知っていますか」なのだが、実はフジタでなくても、人を本当に知るという事は、実は非常に大変な行為なのかもしれない・・・と思わせる映画でした。
  ていうかこれまでフジタ個展をはしごで見に行ってた人はある程度フジタ氏を理解できてると思うわけで、そのサポート的にとても意味深い映画だったと思います。単体で見ても優れた映画だと思います。
  でも僕はパリに再び戻ってからの「子供を描き続けるフジタ」も見たかったかなと思う。その方が救いがあるじゃん。ただ、テーマ的に「ひょうひょうとして生きていくフジタ、描く事をやめないフジタ。現代平成日本もいつ戦争になるか解らない未来が近づいているのかもしれないが、ひたむきに生きることを続けるべきだ、生き抜くべきだ」というテーマもあるのかなと思った。
  あと、この映画って、映画の構成自体が、映画ジャンルの完成するはるか昔のサイレント映画みたいだよね。それこそフジタの生きていたパリ時代の映画みたいな・・・・・・(フジタ自身の作った映画のような・・・)
     (2016_1/17 1:32  facebookのコメント欄に書いた感想が、段落わけできなくて非常に読みづらくなったのでこちらにも加筆Upします)

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