2014年6月24日火曜日
こーじアンテナ!
◎ 「ザ・ビューティフル展」の感想です。イギリス19世紀後半から世紀末にかけての唯美主義の作品を集めた展覧会でした。(会期は随分前に終了)
会場は三菱一号館美術館。もより駅は1年半前に復原完成した東京駅ですが、かつての三菱一号館は東京駅開業の1914年より古い、1894年に建てられたもので、この展覧会の画家たちが生きていた19世紀後半ヴィクトリア朝時代の建築様式が反映されてます。なので結構雰囲気のある展覧会でした。
実はイギリス系の絵画などの展覧会というのは結構少ないです。というのもイギリスでは画家というのは肖像画や風景画のみを描く職人が最上とされていて(彫刻も同様)、イタリアルネサンスやフランス絵画などとは程遠く、極めて画家芸術家の社会内地位は低かったわけですね。
とはいえ、三菱一号館美術館が、昨年バーンジョーンズ展を開催したり、東京都美術館が昨年ターナー展を開催したりして、イギリス絵画にも脚光が当たってきています。
今回の展覧会にもバーンジョーンズの絵画は展示されていて、やっぱり魅力的です。唯美主義というのはつまり、美術のための美術というか、ただ美しさだけを追求する美術ムーブメントで、絵画彫刻写真家具建築などを全てまるっと含めたムーブメントです。つまり肖像画と風景画至上主義のイギリス社会の価値観、評論家のどてっぱらに風穴開けるようなムーブメントだったのですが、その姿勢は題材としてレズビアンやバイセクシャル的なものまで扱うようになっていき、逆に評論家の格好の的になっていきます。しかしそれらが風刺対象でありながらも市民権も得ていって、結局最たる19世紀イギリス的絵画ムーブメントになっていきます。
実は唯美主義=もしくは→で耽美主義。同人関連の耽美の語源にもなってるんじゃなかろうか?それは的外れではなくて、ジャポニズムとからんでいったり、結果的に人々の心の負の側面をも描き出す世紀末芸術的デカダンスに至り、ビアズリーなどの挿画家が出てくるに至ります。
そうなってくると僕にはきつくもなってくるわけだけど、基本的に唯美主義の絵画や彫刻はとにかく美しいです。
唯美主義の画家としては、ロセッティやバーン・ジョーンズ、ウィリアム・モリスらがリーダーに当たります。彼らはArt Workmen(美術職人集団)という会社を設立します。それにアルバート・ムーアやレイトン、ホイッスラーなどの画家彫刻家が加わっていきます。旧態依然のヴィクトリア期のモラリズムにがんじがらめにされていた美術や芸術、家具製作や建築を刷新していくわけですが、ともあれ彼らの絵はとことん綺麗で。ポスターの絵はアルバート・ムーアの「真夏」という絵です・・・。
美の追求がテーマなだけあって、女性美を描いたものも多く、先に書いた作家たちの絵はどれも綺麗です。ていうか、ロセッティやムーアやバーンジョーンズの絵は、同時代のフランスのミュシャなどの絵画に通じるものがある。活動などもイギリスを舞台にして近いものがあるよね。つまりこの頃既にイギリスとヨーロッパの交流は盛んで、相互的にどんな活動をしているのか、熟知可能だったんだと思います。どちらが早いかというと、ワッツやムーアの方が若干早いのか、けれどもほぼ同時です。どれもなんていうかロマンチック。展示されていた絵では、「愛の杯」「アーイシャ」「ヘスペリデスの園」「母と子(さくらんぼ)」(←これは可愛い!)などが良かったです。あと少なかったけど「武装するペルセウス」(アルフレッド・ギルバート)などの彫刻もあったよ。レイトンという人は彫刻も作ったようだ。ペルセウスの彫刻は魅力的で、結構回り込んで見てしまった。
あと、小さな絵だけど「花嫁、花婿、悲しき愛」(シメオン・ソロモン)ってペン画はなんか魅力あったよね。裸の3人の絵で、ギリシア神話調の花嫁と花婿が向かい合ってるんだけど、花婿と美少年の天使の手が握られているっていう。で、あぁこういうムーブメントだったんだ、と。
当時写真技術が急速に進歩していて、後のグラビアのような写真も出てくるんですが、タイトルが演劇のセリフのようなものがあったりします。美しすぎる女性の横顔写真に「お呼びください、わたしはついて参ります、ついて参ります、どうか死なせてくださいませ」なんてタイトルが付いていたり。・・・そういえばイギリスでは当時写真撮影がブームで、例えばルイスキャロルが少女に乞食などの服を着せたりして今で言うコスプレ写真を撮っていた。 つまり、イギリス的には美術作品に演劇性とか絵画性を付加していく時代だったりする。ただ、ヴィクトリア期の保守派道徳に反発している気配も確かにある。オスカーワイルドも文人として参加してくる。そこに日本文化がからんでくる。
ここは僕の意見を書くホームページなので書きたい事を書くけれど、本当にロマンティックな雰囲気の唯美主義も、保守道徳に反発する気質から、なんとなく毒や死の匂いをはらんでくるわけで、多分当時はやったジャポニズムがそれに拍車をかけているんだよね。日本の文化にも花鳥風月の美しさはあるけど、わびさびもあるわけで、そのわびさびの部分が、おそらく唯美主義のデカダンス性を加速させたんじゃないかと思える位。
家具や調度品にもより新しい実験などがほどこされるようになったり。・・・でも家具や調度品への日本文化の影響は、多分日本人だとうれしく感じる人も多いんだろうなぁ・・・そこが難しい問題だったりもする。まぁ言ってみれば、「黒執事」に出てくるような新しい時代のさきがけみたいなものが垣間見えるわけ。面白いよね。日本の漫画家さんたちも既に勉強してそうだなぁ!!って感じのが多かった。
そして時代は、デカダンスになり、オーブリー・ビアズリーが登場。ビアズリーの場合美女も書くけど、そこには常に道徳ではなく悪徳と死、悪女が登場し、必ずしも「善男子善女人が幸福な絵」(僕はそういうのが好きだが)というわけではなく。そこにあるのは頽廃美なんだよね、耽美カテゴリーというか、既に美ではないものを描いている。彼らとしては「表現の自由」のために頑張っていたんだろうが。(ちなみにビアズリーは結構若死にした人)
(そこを更に1コマ漫画の風刺でちくりと刺されたり、それらのイラストを展示するコーナーまであった)
そこまで来ると今の僕には苦手になるが。・・・つまり、なぜ日本の漫画ファンの中で「耽美」(大体はホモ描写などを指すが)っていうムーブメントが、同人誌ジャンルがメジャーになった80年代に流行していったかという回答があるような気がする。この「唯美主義→耽美趣味→デカダンス」の流れは、ほぼ絵画→版画印刷という、一品作品から大量生産の時代の流れとシンクロしていて、ビアズリーの版画(いや、フランスでも印象派版画などが流行していたわけだが)などに至る流れの中にある。
がちがち石頭の大人社会に反発する芸術家たちの、社会道徳への反発による、結果的な堕落とデカダンス。それがつまり80年代から現在に至るの女性向け同人コミック界(のホモ系)も陥っている、全く同じ 罠 だ。だから、「耽美」という言葉があれほど女性オタクや腐女子の間であれだけ流行してきたんだろうな、とは僕も思う。単純にイギリスが英語圏なので、当時の若い子たちがフランス圏やイタリア圏より理解しやすかった、ってのはあるだろう。
・・・などと書いたけれども、この展覧会自体は、まさにムーアの絵のタイトルの「真夏」通り、1860年代後半から1900年までの間に燃え上がって、次の20世紀にバトンを渡していったムーブメントの、長所や魅力ばかりを並べた展覧会だったりしました。美しい作品を見れて堪能というか耽溺。
ちなみに図録も買ったけど・・・綺麗だよーーー!!!なんていうか作品も印刷も綺麗だが、最近の展覧会図録って日本文と英文が対訳で載っているからきっと英語の勉強にもなるし資料価値もある、と。
・・・唯美主義が美だけの追求だとして、その追求がどれだけ難しい事か、っていうのはわかります。どの絵も作品も、イギリス職人気質からか・・・繊細なんだ!!だから余計にそういう印象がありました。でも僕は・・・肩の荷を降ろしながらきれいな作品を描きたいなと思った(^^);・・・とても良かったです。 (2014_6/23 5時-24日6時 JAPAN TIME)
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