2016年5月8日日曜日

こーじアンテナ!

○ 今回のGWはフリマに何度か出かけられたのだが、そんな中での会話で、
  結局、地震だって何だって、明日はわが身かもしれないし、この国もどこに向かうか解らないんだから、死ぬんだとすれば精一杯楽しんで生きる事だし、家族などの人々が危機になっても助けられるようにめ一杯稼ぐ事だし、生きがいの為に(高尚な芸術でも何でも)精一杯生きる事が大事かも、という言葉が別の出店者のおじさんとの会話で意外に共感を得られたのと・・・何がびっくりしたって、そういう言葉が自分の口から出たのにびっくりした。
  何を言いたいかというと、被災地支援の為の寄付とか募金とかって、被災地の為に使われる前に必ず銀行か募金団体にプールされてしまう、って事は前にも書いたけれど、そうなる前に自分達自身でお金やコミュ能力も含めた「体力」(仮に僕が名づけるなら「災害時体力」・・・総合的な意味での)を付けるのが本当は一番てっとり早い。で、その自助努力を一億ン千万の日本人がする事なくして、被災地支援など無いのかもしれないんだよね。つまり自分自身と家族が色んな意味で豊かになれ、と。
  実はそれぞれが豊かになれば、もしかすると年金要らずの社会が実現できるかもしれないんだけど、この国は国自体が破産しかけていて、いまだに政権が徳川幕府ばりの「生かぬように死なぬように」を実践しているわけで、だからそれぞれが豊かになる前に、この国は年金徴収や税金徴収で全てを灰にしてしまう。奪った所でこの国は無駄遣いして国家破産するだけなのに。早晩ではないけど近未来には充分あり得る。僕はこの国自体が詐欺集団かもしれない位に不安視している。でもそれは最終結論であって、とりあえずは証券会社とか振り込め詐欺がが詐欺なんだよなぁ・・・
  話を戻せば、つまりそれぞれが何より知識や体力や金銭で豊かにならなきゃ、身近な人々すら助ける事もできないって事だ。とりあえずは僕の場合、それを阻もうとする者たちを敵視しています。

  あとフッと思ったんだが、徳川幕府が立派だの大日本帝国が立派だのいう民間やマスコミの風潮ってヤメない?って感じ。将軍だの合戦指揮官が偉いだのいう風潮は、本当に下の下だと思ってきたが、その風潮が激しすぎる。日本人は過去全部駄目かというとそんな事もないと思うけども。例えば縄文弥生とか、そういう日本の素地的な意味での気質は、非常に良いものなんじゃないかと思うし。
  でもキリスト教ってすごく弾圧されてるしなぁ・・・まぁ確かにキリスト教でも駄目な所って多いし、日本のキリスト教って駄目な所も駄目な信者も多いみたいだけど・・・。
  でも僕的に思うのは、「俺は日本人だから」とか「やっぱりアジア」などと言っている連中でも、普段の生活では西洋文明の作り出した文明の利器を使ってるし洋服着てるし、何よりもいつも思うのは、人間って死ぬ時は大概病院や看護婦さんのお世話になるけど、大概の看護婦さんはキリスト教式で戴帽式をやったりするんだよな・・・。キリスト教的自己犠牲精神がなければ看護士なんて仕事は出来るわけがないというか、赤十字だって生まれてなかったかもしれないわけじゃん?つまり、人間は何だかんだ言いながらも死ぬ時には看護師さんたちに助けを求めるけど、それって結局キリスト教精神の産物に助けを求めているのとおんなじなんだよね。なのに生きてる間はキリスト教否定したりするでしょ。それ違うと思う。
  キリスト教やキリスト教国家群から学ぶべきは、別に奇跡とかそういうのじゃ無いだろと思うんだよね。自由・神の前での平等・博愛とか、正しい知恵であったり、簡単に書きようがないけれど、文化的な事だったり、逆に自然回帰的な事だったりもあるけれど、過去から現在にいたる事で、自分とかが学べる事はまだまだものすごく多いって気が、僕はするわけだ。それらの豊かさって、奇跡みたいなものじゃない?僕はそう思う。 (2016_5/8 0:42 ひさびさ日記更新。)


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