2016年7月3日日曜日

こーじアンテナ!

○ ていうか「仮面ライダードライブ」のスピンオフで「仮面ライダーマッハ」と「仮面ライダーハート」というのを作るらしく。ドライブは自分は話が見えてきた2クール半ばくらいから面白くなってきてよく見てたので(ていうか泊巡査の身上は仮面ライダーアクセルと似てたのでもう少し違う表現できなかったのかとも少しは思ってたのだが)、映画版を見終わった時に同人的なストーリーなど考えてた時期もあった。
  まぁ「ハート」が決まってしまったわけで多分ドライブサーガは今後も脚本氏らが書ける時に書くだろう.。
なので「マッハ」も「ハート」も結構楽しみではある。僕はニチアサのライダーも意外と好きだよ。 ・・・って事で僕の同人ネタの話のあらすじを書くと・・・

  ・・・ブレンの死にショックを受けた事でハートとメディックはゴルドドライブを倒そうとするドライブ=泊&マッハ=剛と共闘し、遂にゴルドドライブを倒す。しかしハートやメディック、それ以外にも生き残っていたロイミュードたちは人間ではないため、人間の法が適用されず逮捕し法で裁く事が出来ない。その暫定措置として彼らはある人里離れた山村(後に被災地だと判明するのだが)の復興事業をその優れた頭脳と身体能力で、肉体労務者さながらに行う事になる(それが懲役の代わりであるという説明もあって)。そして泊巡査は、本来わかりあう事のできた筈の彼らを倒した自責の念からその山村の駐在所に霧子と共に住み込む事になっていた。そして10年近くの年月が経ち、生まれた息子=英志は10歳の少年、そして彼の友人として生活していた同じく10歳のロイミュードの少年(彼はずっとその姿なのだが)も、自身を人間と思い込みともにその山村で生活していた。しかし少年ロイミュードは外の世界に興味を持ち出し、外の世界に出た事がろくにない英志の静止をふりきって東京まで抜け出してしまう。しかし少年がたどりついた先にいたのは、残存ロイミュードたちを利用しようとする新興都市マフィアの集団だった・・・

  という話。ロイミュードたちにコミュニティーを持たせたらどうかという同人的な考えはあったんだけど、なんかそういうのはやっぱり自分のネタのティアー・ビーティックが登場する「Beatnixer」(ここの下の方参照)が描ける事態になった時に取っとこうと思ったので、結局同人作品にはしなかったのであった。ていうかその「コミュニティー落ち」を自作以外で書きたくなかった。(いや、だからアマゾンズのあのラストは僕的には普通だったのだ、当然の帰結というか・・・)
  オチ的に言うと結局その先、ロイミュードたちは東京よりはるか南の新しく生まれた火山島(火山沈静化後)に住む事になりそうだ、という件も含めて、いろいろ騒ぎが起こる、という話でもあるんだけど。派出所の棚からドライバーを持ち出した英志が初めてドライブになる話、みたいな、そんな同人話を考えてた。でも「降りてきた」みたいな話だったので、リアルでそういう話が架空の夢の世界にあったのかもね。  (2016_7/3 2:07)
  でもまぁテレビのラストも結構好きだよ。泊巡査と霧子がちゃんとゴールインして明るいエンディングだったんで、僕のちらっと考えた続き話みたいな重さよりスカッとしてていいと思います。 (2:23)



● でも僕的には「アマゾンズ」ってけして大人向けじゃ無いよね。せいぜい小学5年以上向けというか・・・。だってこの位の表現じゃないか、仮面ライダー旧1号の13話分とか。キスシーンなんて(言われてるけど)海外ドラマの「奥様は魔女」とか毎回なわけだし、それ自体は全然コードに触れるものじゃ無い。
  で、テーマがレベル高いか?と言えばそれほどいいテーマを提示しているわけでもない。なんていうか、ロジックゲームなんだよね。「人を食い物にしてはいけません」というのは例えば振り込め詐欺なんかを語るには絶対言うことじゃないですか。でも「人食いはいけない事だ」ってのは、そりゃ相手が死ぬし同族だからに決まってるでしょ。もしくは相手の人間性の全否定だからだよね。それが解らないってのは、つまり「人間性」とか人間の美徳が解らないって事でしかない。
  ていうかさ、最終回で仁が言う「殺したものを食って何が悪い」をアマゾン(しばしばこのページではアマゾンを同人系連中に例えて書いてるが)に適用させるのって、多分脚本の小林さんとか平成ライダーだと井上脚本とか、まぁライダー作品の企画プロデューサーデザインレベルからだけど、そういう人たちの本音(の一部)でもあるんだろうな、と思って見てたわけで。(ていうかなぁ、僕は同人とかからパクった事は無いからなぁ・・・僕は「僕があからさまに早い事、もしくは早かった事」を反復表現してきただけで・・・。わからん。僕の「ガンダム000(トライ)」にしたって「タイムレ●ジャー」より書き出すのは早かったと思うし。000については99年秋ごろにはサン●イズあての手紙にちらっと書いてた位だし、顔本はつまり「タマゴちゃん」だったから;)。
  多分このドラマで「人を食って何が悪い」とか「人が生きるってのは誰かの命を食べるって事」という言葉は、多分エンターテイメント系 などサービス業系の人々に特有の思考なんじゃないかと思う。エンタメ系の人は自分で農業や牧畜業をしないじゃん?でも農家の人々は普通にお米や野菜や牧畜やって卵や牛乳を生産するじゃん。そういう発想がアマゾンズには無いわけ。   いや、仁はその鳥を飼って食うために殺して卵を取る、をやってるんだけど、だからこそ「「人間」が(社会の中で)生きるってのは誰かの命を食らうって事」と認識してるんだと思う。
  で、例えば他人からお金を取るってのは、確かに・・・僕なんかは常々思うけど(前も書いたけど)「日本銀行が各銀行にお金を渡して、そのお金が何かの拍子に自分に入らないと自分のお金は絶対増えない」・・・という構造上、誰か(もしくは企業)が生きられる分のお金を取らないと、自分は生きられない、というのがこの国の構造なんだよね。
  まぁエンタメ系の発想であり、勝ち組の発想とも言える・・・。PD白倉氏も田崎監督や小林脚本、平成ライダー井上氏もまぁ、学歴でも生まれでも経歴でもいわゆる勝ち組じゃん?(まぁ田崎氏からはそういう事を感じない事の方が多いが)僕が石田監督や金田監督作品を見てて信頼できるなぁと思うのは、現場のたたき上げ感がすごいからで・・・。
  だからこのドラマって、エンタメ系や勝ち組の人にはものすごく支持されると思うんだよね。あと生産性の無い人々とか・・・。でも、自分はやっぱ「もの作りって自分で自分の中から生まれるものに忠実であるべきなんだろうな」、と思ってるので・・・。
  まぁそういう綺麗事だけではどうにもならなくなってる状態の人にはものすごく支持されてると思う。>アマゾンズ  (つづく。 2016_7/2 20:23)

● ていうか、最終回での駆除班の各人物が、それぞれ家族と思っている人々のために弱者のために過酷な仕事をしていた、という場面が(公式では人物紹介に結構前から書かれてたが)やっとこ入ってきたのは良かった。悠も仁も駆除班も、他の弱い者の為に戦っている、にも関わらず、衝突する事になったわけだけど。
  ただ、僕なんかが思うのは・・・まぁ駆除班の身内は仕方ないとは言え、悠に守られてるアマゾンズも、仁に守られてる人間たち(12話的には野座間製薬もその代表だが)も、何でこの衝突がおきてるのか解ってんのか?!・・・と思うわけで。要はアマゾンズたちが食人の欲望を抑えれば、野座間が利益追求や実験欲で馬鹿な研究を繰り返さなければ(人間がもっと賢明であれば)、避けれたはずの悲劇ばかりなんだよね。そこんとこどうよ特にアマゾンズ・・・って気がしてならないわけだけど。
  主人公達に感情移入するなら、この物語はとても切ないがいい話なんだが、他のアマゾンズや人間達を見るならもうダメダメな連中が揃ってる話なわけで。そこを解らないで「アマゾンズ」を見て、感動した感動した言ってても仕方がないんじゃないの?とも思うわけで。未覚醒のアマゾンズって、あれおまえらの事だぞ!と同人連中には 言いたいんだけど。その辺解ってるのかどうか。アマゾンプライムじゃないと今まで見れなかったわけだけどさ・・・そういう嫌な狂騒を見るのはBSとMXでの放送後なんだよなぁ・・・。視聴者がいい見方をしてくれるなら、こんな凄いライダー番組も無いわけだけども・・・。(7/2 22:20)


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