2016年6月28日火曜日

こーじアンテナ!

○ 「仮面ライダーアマゾンズ」の1期13話が終わった。全体を見た感想としては、キャストとスタッフと石田・田崎・金田監督らは頑張ってたのだが、プロデュース方針と脚本内容・・・というよりイデオロギー的になんだかなという感じだった。
  主人公(の一人)である悠が、駆除班の元詐欺師、三崎くんの腕をもいでちょっと食べてしまった後で、駆除班に戻ったらまた人を食べてしまうというマモルに対し「食べていいよ、正直なんで人を食べてはいけないのかわからない」と言ってしまう所は、僕的にはやっぱり子供番組のヒーローが言ってはならない事で。なんていうのかな、そういうカルト的悪趣味ジャンル的な発言がまた流行る時代になってきたのかな、というのは最近特に感じる。
  カルト宗教的といえば、セーラームーンやドラゴンボールもそうだったんだけどね。死んでも生き返るみたいな内容の物語を各アニメが乱発するような時代は、僕はあんまり納得行かないので・・・。まぁそういう復活劇って最近は別に珍しくも無いんだけど。

  「アマゾンズ」について書こうと思った時にまず思うのは、キャストやスーツアクターや監督やスタッフは本当に必死に頑張っているんだろうけど、プロデューサーとか脚本はいたずら心でやっているというか言葉のロジックゲームをやっぱりしてしまっているわけで。
  最初からamazonプライムでの放送で、「自由な映像表現」のために作られたテーマだというのは解っている。その意気はいい。全然文句ない。ただ残酷表現をするしないが表現の自由なのかというとまた違う。キスシーンなんか海外ホームドラマにも普通にあるわけだしね。
  というか、そもそもこの作品についてはきっかけ的な言葉を僕も何回か口にしているわけだけど、でも僕はやっぱり仮面ライダーに「殺人犯でも守る」とかは言わせられないな。それは世の中の殺人犯たちの被害者家族たちにとっては 絶望でしかない から。
  あと、人間が必ずしも食物連鎖の頂点とは限らない、それは事実なんだけど、だからって人間を食えるものが必ずしも精神的に人間より優れた人間性を持っているか?っていうとそれは違うわけじゃん。

  最初の頃に僕が「同人って名前の意味的には土人と一緒だと僕は思ってて」と書いた記憶を覚えている人も多いと思うんだが、まさしくいわゆるコミケの同人というのは、二次創作で他人のキャラの首から上をパクったり、少女をエロ奴隷化したりとまぁいわゆる性欲が土人そのものな事をやってきている。客観的に「アマゾン」というのは人間のタンパク質を好む性質があるって事なので、ネタ的に言うなら、エロ同人の汁好き→リアル女、汁好きみたいな、そういう連中の暗喩だと思ってもいいんだろう。さすがにエロは全年齢向けに出来ないからってのはある。
  あと自分の個人創作ページの方で前に「両手が器用でもなくセックスも出来なさそうな生物は生物と言えるのかどうか」みたいなテーマで結構書いてるの知ってる人も多いと思いますが、その性的な事というのを、食べるという行為に置き換えれば(いや僕は、食べない生命体(宇宙人)が下等だとは思わないけど)野座間の天条会長の「物食わぬ生命体は最弱にして下劣!!」という言葉になるわけで、まぁ「生命体なんだから食べたって仕方ないじゃないかむしろ当然」というテーマはいい。でもその対象が即、人間、って内容は、多分僕は子供も見る番組では書かないと思うんだよね。
  自分のウチから歩いて十数分のトランクボックスで大阪の看護師の女の子の遺体が見つかって・・・その犯人が彼女の大阪時代の同級生で日系ブラジル人で結構美人だった、とか・・・なんかハチアマゾンの話(なんか実写セラムンのうさぎちゃん、演技メチャクチャ上手かったし綺麗だったけど、なんか悔しい。別の作品でも一杯見れるといいなぁ)見てても思ったりしたんだけど。

  アマゾンズ自体、僕のライダーVi:の基礎設定に近いというかそっちから引っ張られたらしきところをいくつか持っているけれど(まぁそういう設定引用みたいなのは平成ライダーや小林作品には過去かなりあるんだが)、やっぱり僕はアマゾンズの功罪の罪の部分というのは、表現の自由について語った作品であるにも関わらず、「人を食う行為を肯定させてしまった」所だと思うんだよね。その割に石田監督の作るライダー作品の映像とかは僕は本当に独創的だと思っているわけなんだけどさ。
  で、それは作品的にいえばパクリ問題とかネタ引用問題なんだけど、「表現の自由」における作品作りはそれとしても、この世の中には「人を食ったような行為」とかを平然と行っている連中はいるわけじゃん?オレオレ詐欺とか、振り込め詐欺とか、老人女性から年金騙し取るとか・・・ライダーが「人を食っていい」といってしまうってのは、結局そういう事やってる連中への肯定語句にしかならないようなものなんだよね。だからそういう言葉はライダーには言って欲しくなかったというか、やるなら別の作品でやればよかったのでは?ってのがあるわけ。
  主人公達の考えてる事はちゃんと伝わってきたし、熱演だったと思うし、監督にも全く文句はないが、気をてらったロジックゲーム(龍騎からそうだが)が多すぎると肝心のテーマが伝わらずに、反復してみている内に娯楽化してしまう。まぁ娯楽なんだけど。で「獣が笑うこの街」って言うほど、獣が笑ってる街に見えなかったんだよなぁ・・・13話短かったか・・・。

  あぁ・・・同人的には「人の命(作ったもの)を勝手に食らって同人作って売って食う」みたいな連中はいる。ガレージキット界でも魔改造とか、特に石森プロは厳しいけど、平成ライダー怪人のSIC改造フィギュアを作って販売したために逮捕とか、ライダーマスクの1/1を勝手に作って売って逮捕とか、枚挙にいとまない(1点もの販売逮捕ってのは僕は客観的にやりすぎだと思ったが。それだと依頼者のために作品を作ってるプロモデラーは食ってけない)。
  で、石森プロはK川書店と今は組んでるわけだけど、K川書店自体は二次創作同人肯定派というか全く手を出さない方針なわけで、そこはもう完全に極端に主張が違うわけなんだよね。そこまで主張が違うのになんで組んでるのと僕なんかは疑問に思うが。
まぁ、仮面ライダー自体、他から食らって存続してきた部分はあって。そもそも仮面ライダーの顔って、複眼とかクラッシャーとかのあのフォームをそもそも作ったのは、ウルトラセブンのピット星人とかシャプレー星人とかカナン星人とか・・・僕の恩師の成田亨氏たちなわけだから・・・ 。僕も似たような印象持ってるが・・・だから、その辺からそれでもオリジナル的なものをなんとか提示してやってきた、そのライダー作品作りのスタンスそのものみたいなのが、この「アマゾンズ」のキャラクター達の抱えてる問題の回答になるんじゃないのかな?とも思っていたりする。
  で・・・まぁエロ問題のみをなぜか除外した形で「人を食ったような行為」について暗喩してる形で、「生きる」とは?ほとんどの人々は他人の命を食らって生きてるようなもんなんじゃないか?っていう事を主人公達に言わせているわけで。
 それでも僕なんかもオリジナル作家としてはパクリをそうそう無差別容認したくはないし、だから僕の作品からネタだけぱくって・・・って叩きたちには反駁したくもなるし、まぁ12話で仁が言ってたセリフは、本当共感できるんだが。

 ていうか、水澤本部長ってやっぱり脚本の小林さんの立ち居地で、橘戦略本部長は白倉氏の立ち居地なんだろうなぁと思ってみてた。

  でも、僕はアニメや特撮を見る時「海外の人はこれを見てどう思うんだろうか?」というのを常に(常に!)考えて見ているわけなので、さっき書いた「ロジックゲーム」が海外に簡単に受け入れられるというのが若干不安で(他人ごとながら)。でもアメリカはキリスト教社会なので、仁とか悠とか七羽さんとかのスタンスは、もしかしたら伝わるかもしれない。ただ小林女史の性癖として、キリストというか救い主っぽい思考をする主人公たちを「子供っぽく」または「ガキ」に見えるように描いてしまうという欠点は、大昔から連綿とあるわけだが(龍騎の城戸真司、電王の良太郎、オーズの映司・・・etc)・・・。その「救世主ポジションなんだけど未成熟な 少年じみたところからしか描き始められない欠点」というのかな、それに海外公開時にアメリカ人が共感して食いつけるのかどうか・・・ってのはちょっと興味がある。・・・逆に外人視聴者が、それに気付いて不快に感じられるとアウトなんだよね。
(※ ていうか、タンパク質が必要と言っても、人間だって食べたタンパク質は一度アミノ酸に代えてから体でタンパク質に戻してるわけで・・・。なんで人間のじゃなきゃダメなのかってのが全く解らないんだよね。「オーズ」の怪人は人間になりたいという心理的根拠があったみたいだけど・・・。ていうかハチとかだってミツバチなら植物食、スズメバチなら肉食だから、基本雑食であれば人食いしなくたって済む・・・って事にはならないの?それが解らない。その辺が設定ありきだなと思えてしまう理由でもある。人間だってベジタリアンはいるので。
   (まぁDNAが必要だとか、人間ならではのビタミンがあるとか、そういうなんか変な理由づけでもしないと無理そう)

      あと物語の恐怖性にかられて、「アマゾンは人のタンパク質を好む!駆除しなくては」とみんな言っているが・・・輸血血液パックとか臍帯とか盲腸とか摘出臓器とかそういうので満足させられないの?って意見も海外視聴者から出てくる可能性はあるし。そういう妥協可能性について気付く人がクレバーなアメリカ人から出てくるとみんな冷める可能性あるんだよね。冷めるというか「なんか物語にならねえじゃん」と思われてしまう可能性がある。そこをシナリオ的にどう乗り切るのかと。この物語って明るく解決するには「ひぐらし」みたいな結論しかありえないので。あとは誰かがアマゾン細胞の食人性を完全に抑える薬を作るかしかない。
  で、確かに「龍騎」は米国版が放送されたりしてたけど、けしてあれがまともなライダー作品の見本ではないじゃん?どちらかというとすごくイレギュラーなライダーシリーズだったわけだし。龍騎も電王もアマゾンズもイレギュラーなシリーズだから、それを「仮面ライダー」としてアメリカ人が見る事で、ちゃんと「仮面ライダー」にカタルシスを感じてくれるのかな、っていう・・・本来の仮面ライダーとか石森作品(希望も暗黒もあり・・・)のテイストに一番近いのは(小林脚本では)今回のアマゾンズだと思うんだけど。
  ただ・・・なぜこの物語が「アマゾンズ」なのかと言えば、どちらの主人公も完璧ではなく、欠点があって、両方あわせて、このアマゾン細胞災害から人々を守っているヒーローって事なんだよな、って。
  二人とも存在しなきゃ救いとして機能しない。僕なら一人主人公で書いてしまうけど、それをしたくないのが今の平成ライダースタッフなんだろうなぁと思ったりもする。
  今回はテーマ的感想のみにて。心情描写についてはもう・・・キャストの熱演も監督やスーアクの圧倒的実力発揮もありで、「パーフェクト!!!」としか言えないよ。そこは脚本も面目躍如だった。(あ、今「躍如」を「や駆除」って変換しちゃったよ; なんていうかアマゾンズについてはページを取りそうなので別ページにしたい位だ  2016_6/28 2:15~5:22)


0 件のコメント:

コメントを投稿